Book Reviewに関するエントリー

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Movable Type 4.2でブログを作ろうと思い立ち、最初に買った参考書。決して派手ではないが、しっかりきっちりと基本が身に付く、とても良い参考書であった。

この本はブログを構成するXHTMLやMTタグを、実際のテンプレートのソースコードを列挙し、そのソースコードに色を付けたり、合間にコメントを入れたりして説明をしている。

最初にこの本を読んだ時には、正直そのコードの羅列がかったるくて読み飛ばしてしまい、結果として何も頭に入らず、「なんだ、大したことないな」と思ってしまっていた。

だが、Movable Typeを導入して2ヶ月弱が経ち、少しずつ操作に慣れ、カスタマイズにも少しずつ挑戦する余裕が出てくると、結局カスタマイズをするにはタグを理解するしかない、という原点に立ち戻る事になる。

そして、Movable Type 4.2のタグを理解するうえで、もっとも初歩的でしかも簡単なのが、標準で付属しているテンプレートのタグを具体的に一つずつ理解して、そのタグを少しずつカスタマイズしてみる、という実践法であることに気付いた時、この本は最高の初心者向け参考書としての力を発揮する。

高度なデザイン・カスタマイズや機能強化は見た目も派手だし効果も分かりやすいので、MTを導入した人なら誰しもがそういったカスタマイズに憧れるが、高度なことができるようになるためにはまずは基本を抑えなければダメなわけで、そういう意味で本書は地味だが非常に素晴らしい参考書だといえる。

自分だけのブログを作りたいと憧れている人には、第一歩を後押ししてくれる協力な援軍となるであろう。お薦め。

基本からしっかりわかる Movable Type 4.2 カスタマイズブック(Web Designing Books)
基本からしっかりわかる Movable Type 4.2 カスタマイズブック(Web Designing Books)
著者:大藤 幹
出版社:毎日コミュニケーションズ
出版日:2008-09-20
ランキング:10191位
おすすめ度:
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中上健次の初期短編集「鳩どもの家」から、最後、3作目はタイトル・クレジットの「鳩どもの家」である。

本作は同じ短編集に収録され既にこのブログでも紹介した「日本語について」、「灰色のコカコーラ」よりも数年時代が遡り、主人公はまだ実家におり、高校生である。

コーラス部に所属する優等生だった主人公は、大阪に住む姉を訪ねた際にその姉が金持ちの2号になっていたことを知る。その姉から学費の足しにと大金をもらったことがきっかけとなり、勉強を止め、学校をさぼり、タバコを吸い、そして地元のスナックへ顔を出すようになる。

実家にいる父は母が再婚した相手であり、弟は再婚した父との間の子である。そのような境遇から現れる不満をぶつける対象として、主人公は金と夜遊びを選んだ。

この短編では、主人公はまだ優等生としての自分を完全に捨てるつもりはなく、ちょっとした寄り道をしているのだと自分の立場を定義している。その辺りが全体のトーンを牧歌的でのんびりしたものに仕上げていて、灰色のコカコーラの後に読むと、なんだか微笑ましく思えてしまう。

また、この「鳩どもの家」が前2作と異なるのは、物語の舞台が東京ではなく、関西で大阪から電車で一時間程度かかる、主人公の実家である点だ。夜遊びといっても大した場所はなく、地元の不良がたむろするスナックの女将をよってたかって冷やかす程度のことしかすることがない。

主人公はいずれ高校を卒業したら、東京へと飛び出していき、そして「日本語について」や「灰色のコカコーラ」で描かれたような世界へと身を沈めて行くのだろう。

だが、敢えてこの「鳩どもの家」を短編集の最後に持ってきた作者の意図とは何なのだろうか。より鋭利な刃物のような東京に於ける生活を我々読者に見せた後で、妙に牧歌的で前時代的な田舎における高校生の欲求不満を描くことで、主人公に次のステップに向けての衝動のような力を与えたかったのだろうか。

鳩どもの家 (集英社文庫 な 6-1)
鳩どもの家 (集英社文庫 な 6-1)
著者:中上 健次
出版社:集英社
出版日:1980-06
ランキング:188470位
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中上健次の初期短編集から2作目、「灰色のコカコーラ」。

一言で言ってしまえば、鎮静剤中毒の予備校生の無為な日々を綴った物語なのだが、全篇に漂う無力感と静寂感は何ともいえない緊張感をはらんでいる。

一人称で物語は進む。要はらりっている主人公が語り続けることになるので、鎮痛剤「ドローラン」が効いている時と効いていない時、効き方も激しい時とそうでもない時で、語り口が変化するし、途中で幻覚が現れて物語が中断したり、突然それまでと何の関係もない人物が現れて去って行ったりと、なかなかのリアリティーである。

本書の解説は村上龍が書いているのだが、村上龍は自身のデビュー作、「限りなく透明に近いブルー」は中上健次の本著、「灰色のコカコーラ」の影響を強く受けていると認めているとおり、ベースとなる世界観は共通のものがある。薬とジャズとモラトリアムである。

ただ、村上龍に比べ、中上健次がこの作品で描いた世界観の方が、より世俗的で安っぽいのだが、その分徹底的に足が地に着いていてリアルである分、迫力がある。村上龍の主人公はヘロインやメスカリンといった麻薬を常用していたが、本作の主人公はスーパーで安売りしている頭痛・生理痛の薬を大量摂取することで幻覚を見る。村上龍の物語では主人公は暴力を身近に感じるだけで自らが暴力を振るうことはしないが、本作で主人公は幻覚状態でアイスピックを用いスーパーマーケットの警備員を襲い、駐車中の車を破壊し、女学生を拉致し無免許で車を運転して事故を起こし、その女学生に怪我を負わせている。誰でも買える鎮痛剤でふらふらに酔った主人公は、何の感情の発露もなく、突如暴力的行動に出るのである。その理由なき暴力のリアリティーが、本作にはある。

物語のエンディングは非常に象徴的で、美しささえ漂っている。鎮痛剤ドローランを主人公は20錠まとめて飲む。それは彼にとっても新記録だった。「五錠は母のため、五錠は兄のため、姉のためにも三錠、アイスピックで刺された男のためにも三錠」(後略)。

そして20錠のドローランを飲んだ主人公は立て続けに水を飲みながら、さらに3錠の鎮痛剤を、拉致して怪我をさせた少女と、行きつけのジャズ喫茶店と、そしてマイルス・デビスのために飲もうと決める。


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警視庁武蔵原署に勤務する刑事、歌田。彼はある夜街の占い師にに自分の人生を見てもらう。すると、その占い師は歌田が35歳で死ぬと予告するとともに、自らを歌田の前世であり、55人を殺した殺人鬼であると告げる。

効率良く事件を処理することを求められる現代の警察においては、全ての事件を捜査し、容疑者を検挙することは不可能である。

検挙が難しい通り魔殺人で目撃者がいないようなケースでは、それは自殺として処理することが臨まれる。歌田が署で受けてきた教育はそのようなもので、上司の言いつけに徹底的に従って歌田は「ミスター公務員」と呼ばれ、昇進を続けてきた。

だが、占い師であり彼の前世と名乗る神崎は、歌田につきまとい、「生きたいように生きろ。お前は俺と同じようにする権利がある。お前も俺も人を殺すことを許された超人なのだ」と囁き続ける。

そんな時、歌田が密かに想いを寄せていた女性が、ストーカー相談に訪れた。上司からは「相談に乗るフリだけして追い返せ」との命令が。ミスター公務員歌田が、超人ウタダとして歩み始める。

絵のタッチに独特のクセがあるけれど、スピーディでスリリングな展開には惹き付けられますよ。Wowowでドラマも始まったので、こちらもどうぞ。ドランクドラゴンの塚地君と西村雅彦がいい味出してます!第一話を見逃した人も、火曜日に再放送があるから大丈夫!

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中上健次の短編集「鳩どもの家」から一作目は「日本語について」。

今、何故中上健次なのか。すっかり時代遅れになって忘れ去られていく昭和という時代の不器用な若者達の代弁者としての中上健次に、僕は2009年に何故か強く惹き付けられ、実に久し振りにこの本を手に取った。

「日本語について」は、ベトナム戦争に出征している米軍黒人兵士が、休暇のため日本を訪れた期間に、左翼活動家の学生達が、この米兵に反戦・反帝国主義的な空気や議論に触れさせることで、この米兵の精神に影響を与え、あわよくば脱走させようと試み、ある非政治的な若者に、5日間この米兵と行動を共にし、感化するというアルバイトを依頼する、という話。

日本の学生達の視野と、米兵の視野の違いが実にリアルに描かれていて印象深い。特に、米兵が日本の若者を、ファシズム政治から解放されたばかりの若者、という定義に基づいて観察している部分などは、現代の我々からは想像できない視点だが、終戦後まだ20年程度しか経っていない時代であれば、米兵が日本の若者をそのように定義していたとしても不思議はない。

薄汚くてドラッグと精液の臭いが立ち籠め、モダンジャズが響く。そんな短編だが妙に心に響く。


 

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アマゾンで本書を検索すると、そこには「村上春樹の小説世界を堪能できる、2009年用の手帳である」と書かれている。まあ簡単にいえばその通り、書籍というより手帳である。

英語版のペーパーバックからの引用やそのペーパーバックの表紙画像、それに小説からの引用があちこちに散りばめられていて、確かに村上春樹的世界に埋没できそうな感じではある。

ちなみにこの手帳、出版元もイギリスのRandom House UKであり、扱いは洋書。手帳の日付欄の「夏至」とか「春分の日」など、日本の祝日や二十四節気については日本語で書かれてはいるが、あくまでも「おしゃれ」の一部として挿入されている感じで、ベースは全部英語である。

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右の写真は手帳としては無意味な挿入ページ。こういうのがあちこちにある。ちなみにこのページは「ノルウェイの森」の英語版ペーパーバックの表紙と、小説からの引用がほんのちょっと。

ちなみに左の引用部分は、「ノルウェイの森」で、ハツミさんが亡くなったあとで、彼女の大切さをサンタ・フェで圧倒的な夕暮れを見ながらピザを食べていて思い出す、というくだりです。何故その箇所が引用されているのかはもちろん不明。イメージってことなんでしょうね。ちなみに、手帳の中でやたらと"The Elephant Vanishes"というタイトルが引用されていて、「こんなタイトルの小説知らないなー」と思って調べたら、北米において英語で刊行された短編集のタイトルなんですね。どうりで知らないはずだ。

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日付の入ってるページはこんな感じ。各ページごとにちょっとずつデザインが違ったり、あと、やはりちょこちょこと小説の一部が挿入されていたり、写真が入っていたり、イラストが散りばめられていたりする。まあ凝っているといえば凝っている。

というわけで、ファンは持っていても悪くないアイテムだと思います。でも、これに実際文字をガシガシ書いて本格的に手帳として使うとしたら、あまり使い勝手の良い手帳とは思えないなあ。

なんといっても紙質がツルツルで、サインペンなんかだと書きにくそうだし、綴じ方も、がばっと開いて文字を書き込んだら背表紙が痛んでしまいそう。

やはりこれは、装飾用ということで、眺めて楽しむぐらいの使い方が宜しいんでしょうね。オシャレという意味ではとてもオシャレですし、持っててちょっと嬉しい手帳ではあるので良いでしょう。


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村上龍の近未来・金融小説の下巻。

この作品が書かれたのは1980年代だが、2009年の今日に再読してもまったく色褪せることがない、ソリッドで力強く、そしてリアルな作品に仕上がっていることに改めて感心させられた。

上巻では主人公鈴原冬二と狩猟社が日本国内で権力を得ていく過程が描かれているが、下巻ではいよいよ力を持った狩猟社が、アメリカ・ソ連による世界共同管理体制に挑むべく、ありとあらゆる方法を用いてアメリカの超国籍企業グループ、「ザ・セブン」へと襲いかかる。

スリリングな展開が続く物語だが、少しだけ残念に感じるのは、「破壊」と「衝撃」をテーマとして突き進んできたこの作品が、フェスティバル「巨大なる祈り」の登場とともに、「親和」と「再生」へと、あまりにも急激にハンドルを切って行き、また、冬二、ゼロ、フルーツ3人の物語が、金融小説の中に異物として割り込んでくる部分に、若干の違和感と尻すぼみ感を感じる。

混乱を極めた世界、そして日本が冬二と狩猟社によってどのように再生されていくか、この物語には本当の意味でのエンディングは描かれていない。

いつの日にか、この物語の最終章の10年後の世界を、村上龍が描いてくれる日がくれば良いと期待する。

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村上龍の近未来・金融政治長編小説。

過去に何度も読んだが、久し振りに再読してみて驚いた。この小説が書かれたのは1984〜1986年、つまりバブル経済絶頂期よりもさらに前のことなのだが、2009年の金融危機の最中に読むと、村上龍が描いた近未来の世界のそれなりの部分が2009年には現実のものとなって日本を覆っており、改めて村上龍の先見の明というか知的想像力の鋭さには驚かされた。

世界規模の企業が政府を越える力を持ち、経済がグローバル化する中で日本は力を失いつつあり、保守政権は崩壊寸前で、アメリカ資本の外資系企業は日本人を単なる下級労働力と技術力の供給源としてしか見ていないなど、いやいやどうして1984年にここまで想像できただろう、と驚かされる。

長い物語はまだまだこれからが佳境に入っていくところなのだが、この物語のように、日本を救うために彗星のごとく現れたファシストがいない分、我々が住む現実の世界の方が、より希望がなく、尻すぼみになってしまっているような気がしてきて、なかなか憂鬱ではある。「ファシスト」という言葉はヒットラーやムッソリーニを思い出させるが、とにもかくにも愛国者なのである。今の日本に一番足りないものは、愛国的政治家ではないかと憂いでしまう。

いずれにしても、2009年に改めて再読する価値のある、力のある小説だ。村上龍にしてはSMとか変態性欲とかが殆ど出てこないのも良い。

21M7FTCA74L._SL500_AA200_.jpg村上龍独特の過剰な世界観を醸し出す作品。「トパーズ」や「イビサ」系の、いわゆる変態性欲、SM的なストーリーと、「愛と幻想のファシズム」や「希望の国のエクソダス」系の、金融ゲリラ的ストーリーが融合したヘンテコリンな物語。

前半はトパーズSM的進行なのだが、途中から徐々に金融ゲリラ的要素が強まり、最後にはすっかり変態性欲的な物語はどこかに行ってしまう。終わり方は尻すぼみでちょっと残念なのだが、村上龍のこの手の過剰な物語は、神経が疲れている時に読むと妙な力が湧いてくるようで、時々ついつい手に取ってしまう。

しかし村上龍という男は本当に過剰なキャラだよなあ。


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トリンプ・インターナショナル社長、残業ゼロ男、吉越浩一郎さんの最近の本。

吉越さんはトリンプ・インターナショナルを2006年末で退職され、その後はフリーで講演や執筆活動をされているのだが、この本は吉越さんがトリンプを引退されてから書かれており、そういう意味でそれまでの本とは若干立ち位置が異なってきている。

どう異なっているかというと、あくまでも「仕事力」と言いつつも、以前の著書よりも、より人生全体を俯瞰するような、ワイドな視点からの切り口が増えており、過去の著書の総まとめのような位置づけの本と言えるのではないか。本書の次に、最新刊「残業ゼロの人生力」が書かれているという順番も、非常に分かりやすく、また、吉越さんがいよいよ社会的立場から徐々にフェードアウトしようとしていることが感じられ、寂しい思いにもさせられる。

自分も若い頃に経験したが、残業をできるだけ長くしてたくさんの仕事をこなすことが良いことだ、という風潮が日本にはまだ根強く、「企業戦士」や「仕事が趣味」と胸を張って言う人も多い。

だが、一日のほとんどの時間を会社での仕事に費やし、家には寝るためだけに帰るという生活が、自分の人生をどれだけ豊かにしてくれるだろうか。また、経営者の立場から見た場合には、残業なしで生産性を上げる諸外国企業と比べ、ひたすら残業をして同じ水準に立つ日本の姿は、果たして一流と呼べるものだろうか。

仕事の成果は努力や時間ではなく、結果や密度、効率で計るべきである。そんな当たり前のことができてこなかった日本の企業戦士達。

少子高齢化、金融危機といった暗いニュースが飛び交う中、これからの日本の企業人達が、どう生きていくべきかを考えさせてくれる名著。


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