日常に関するエントリー

 

090224-02.jpg

1月に世界一のかにたまを食べて以来、美味しいかにたまが食べたくて仕方がなく、いっちょ作ってみるかと思い、頑張って節約してお小遣いが余ったのでアマゾンで「基本の中華」を注文。どうせなら片っ端から作ってみるかということで、かにたまと棒棒鶏を作ってみた。

かにたまには特に特別な食材や調味料はいらなかったのだが、棒棒鶏のレシピに「芝麻醤(ちーまーじゃん)」なる調味料が必要とのことで、会社帰りにスーパーで探したのだがない。

ここで諦めるのも悔しいし、代替レシピも思い付かないので、とりあえず「バンバンジーの素」を買い込みつつも、別のスーパーに立ち寄ったところ、無事芝麻醤があった。良かった良かった♪

で、帰宅して早速作り始めたのだが、いざ芝麻醤の出番と思ったら、瓶詰めの蓋が極端に凹んでいて空気が入ってしまい、中身が脂と胡麻の部分に完全に分離してしまっている。

計量スプーンでガキガキと掻き回してみて何とか使い物にする。

あれこれ試行錯誤をしつつ完成したかにたまと棒棒鶏。写真を撮ろうと思っていたのに、出来上がった頃には何だか疲れてしまい、写真は忘れちゃった。

肝心のお味は、初回にしてはまあまあでした。棒棒鶏のゴマだれは、レシピ通りに作ったのだが、ちょっとお酢が多かった感じなのと、胡麻の風味がもうちょっと欲しかったのが残念。胡麻の風味は芝麻醤が傷んでいたせいかも。明日スーパーで替えてもらおう。

かにたまはとても美味しく出来て大満足。グリーンピースを散りばめるのだが、殻付きの生のグリーンピースを売っていたのでこれを使ったのが良かったかなー。

次回は是非写真もアップしたいと誓うのであった。うまー。

基本の中華 (オレンジページブックス—とりあえずこの料理さえ作れれば)
基本の中華 (オレンジページブックス—とりあえずこの料理さえ作れれば)
著者:
出版社:オレンジページ
出版日:2000-05
ランキング:5730位
おすすめ度:
Amazon.co.jp で詳細を見る

人気ブログランキングへ ← ブログランキングに参加しました。クリックをお願いします!

相変わらずやりたいことが山盛りなわりに自由になる時間は限られていて、あれこれととっ散らかる今日この頃。

MacとネットとiPhoneが融合したインデックス化の次なる目標は、蔵書管理と写真管理なのは昨日も書いた通り。

写真についてはFlickrでも良いのだが、どうせ写真を撮ってアップするなら、fotoliaの方が良いのではないかと思ったり。あと、やはりジオタグ付けて管理したいなー、これはiLife '09が欲しいなーとか物欲野郎になってみたり。

蔵書管理についてはもうちょっと調べたい。ブログパーツで貼り付けたいし。

いやーしかしやりたいことを片端からやろうと思うと、本当に時間がいくらあっても足りないな。

こんなことを考えている合間にも、ちゃんと仕事帰りに買い物して、晩ご飯も作って食べたし、明日のお弁当ももう詰めたし(笑)、昨日注文した本も届いたし、図書館から借りてる本も読まなきゃだし、ピアノも弾きたいし、仕事も頑張らなきゃだし〜。

という感じで、何となくとっ散らかったまま今日のところは書いちゃおうと思ったので、そのまま書き終えてしまおう。

カテゴリー毎の情報はまた明日以降整理してアップするので、そちらを見てくだされ。

 

人気ブログランキングへ ← ブログランキングに参加しました。クリックをお願いします!

今日は2月23日で、給料日まであと2日。

色々と状況が変化する中で、緊縮財政で1ヶ月回してみたが、何とか乗り越えられそうなメドが立ってきてちょっとだけホッとしている。

気合を入れて倹約したご褒美として、昨夜アマゾンで本を注文。でもちゃんと中古にして、無駄遣いはしないようにケアは続けないと。

慣れてしまえばもっと楽になるだろう。逆に無駄を省いて効率良く暮らすことに楽しみを感じ始めてきた。

よしよし♪

 

人気ブログランキングへ ← ブログランキングに参加しました。クリックをお願いします!

flickr_logo_gamma.gif.v59899.14.gif

自分を取り巻くデジタルな情報をブログに集約していきたいという活動の一環として、Twitterで自分の呟きを取り込み、さらにlast.fmで自分の音楽をブログに取り込んでみた。

で、次は自分が撮った写真を融合させたい、ということで調べてみたところ、flickrにブログパーツがあって自分の写真をブログに表示できそうだったので、早速flickrに登録してみた。

新規登録をしようとして初めて知ったのだが、flickrって米Yahoo!のサービスなのね。ずいぶん前からサービスの存在は知ってはいたが、米Yahoo!のサービスだったとは知らなかった。買収されたのかな?でも日本のYahoo!とは関連づけられてないみたい。IDを別に作るのは嫌だなあ。

などとブツブツ言いつつも登録が無事完了。さっそくブログパーツを探し、Movable Typeのウィジェットに登録。で、写真をアップロードしようと思ったら、デフォルトのflickr uploaderの他に、iPhotoと連動するflickr export for iPhotoというアプリがシェアウェアであることが分かり、早速試用版をダウンロードしてみた。

あーこれは便利だね。もうちょっと試してみて問題ないようならライセンスを購入しよう。

などとあれこれやって、無事右のサイドバーに写真が表示されるようになりました。

なのだが、先日のTwitterウィジェットと同様、サイドバーに表示させると切れて見えてしまう。サイドバーのサイズ変更をすればいいんだよね。でも面倒だあ。

いずれにしても、これで写真もブログに融合できた。次は本と、あとはやっぱりブログのフィード更新も表示させたいな。読んでるブログは一覧表示できるようになったものの、どのブログが更新されたのかについては表示できなくて、それを何とかしたいところだ。

頑張ろう。

人気ブログランキングへ ← ブログランキングに参加しました。クリックをお願いします!

じゅずじの旦那からのツッコミにも負けず、何とか無事オフィスを出る10分前に英語の資料も完成し、行ってきましたミーティング。

大急ぎで作った資料の出来はイマイチだったけど、まあとにもかくにも話は前に進んだので、まずは良し。

先方のボスはデビッド・ボウイに似た、超カッコいい白人さんでしたよ〜。

しかし白人さんてのは、カッとなると、皮膚の色素が薄くてすぐに真っ赤になるから分かり易くて助かるねー(笑)。いやはや危ないところだった<オイ。

大仕事を終えて無事週末。今夜はさっさと眠って週末はゆっくりした時間を過ごそう。

書きたいことは相変わらず山盛りなんだけど、今日はこんなところで。

皆様も良い週末を〜♪

 

人気ブログランキングへ ← ブログランキングに参加しました。クリックをお願いします!

午後の会議に向け資料作成中。しかも英語。

間に合うのか?俺、間に合うのか!?

会議も英語だし、頑張らないと。

ひえ~。

090218-01.jpg

「リンゴ〜の木の下で〜、ずーっと待ってたよ〜♪」(「オゾンのダンス」 by たま)というわけで、やってきました、初台の東京オペラシティータワーでございます。

知ってる人は知っている、僕らの聖地でございます(笑)。

今回はお仕事でやってきました。初めてのメッカ巡礼ですよ。

昔は千駄ヶ谷にありましたよねぇ、聖地。

お取引に結びつくと良いのですが、まずはご挨拶ということでした。

今後に期待です。

 

 

 

 

人気ブログランキングへ ← ブログランキングに参加しました。クリックをお願いします!

ここ数日、中川昭一財務大臣がG7後の記者会見で泥酔状態だったのではないかという疑惑から、本人は泥酔状態ではなかったと主張しながらも、迷惑をかけたから、という微妙な理由で辞任を表明というニュースがやかましかった。

最近ほとんどテレビを見ないので、問題の中川大臣の会見は見ていなかったのだが、今朝たまたまニュースで問題のシーンを放映していて、嫌だなあと思いつつも見てしまった。

ああ、これはアル中だ。テレビを見て僕はすぐに思った。風邪薬を多少飲み過ぎたからと言ってあんな状態になるものではないし、僕は過去10年近くに渡り、目の前に末期アル中患者がいて、毎日一緒に過ごし、闘ったから良く分かる。あれはどこからどう見てもアル中である。

僕の元上司は2005年4月に首つり自殺をしてこの世を去った。彼はアルコール依存症だった。それもかなり重度の。亡くなる約一年前に、彼は汚物まみれ前後不覚の状態で会社から追い出され、そしてその一年後に、一人きりの自宅マンションでひっそりと死んでしまった。

僕が勤めていた会社に彼が上司として入社してきた時、彼はまだ末期のアルコール依存症ではなかった。普段から自己主張が強く空気が読めない、だが実はとても気が小さく心の奥に深い傷を負った、一人の男だった。彼は良く酒を飲んだし、ウチの会社に入ってくる前の職場をアルコール性肝炎で辞めていた。だから、もともと彼には問題が多々あったのだ。ウチの会社に入ってくる前から。

だが、少なくとも僕が最初に彼に会った時、彼は自信に満ちているように見えたし、大酒飲みには見えたが、アル中だとは夢にも思わなかった。

最初に「おかしいな」と僕が思うようになったのは、彼が会社を辞める3年前のことだった。その年会社は過去最高の利益を上げ、僕らは皆自信に満ちていた。手狭になったオフィスを出て、広いオフィスに移転も決まろうとしていた頃だった。

その頃から彼は、「もうこの会社は大丈夫だ」、「もう俺がいなくても心配ない」と、口癖のように言い始めた。そしてその頃から、朝に出勤してくる時に酒臭いことが増えてきた。それまでも酒好きではあったが、夜に飲むことはあっても朝から酒臭いことはなかった。

続いて、ランチ時に飲酒するようになった。定食屋でもそば屋でも行けばビール、日本酒と飲んでしまう。それはさすがにまずいということで彼の上司もずいぶん注意したのだが、飲酒はどんどんエスカレートしていった。

僕も周囲の人間も、上司は利益が上がって気が緩み、ぶったるんで酒を飲んでいるんだと思っていた。だから周囲は彼を責めたし、僕も彼が責められるのは当たり前だと思っていた。だが、徐々に彼の置かれている状況は、「気の緩み」などという言葉では説明できないものだということが判ってきた。

連続飲酒がやってきたのだ。朝に出勤してくる時点ですでに泥酔しており、まさにベロベロの状態で、理屈も通じなければ本人も話すら出来ない。前後不覚の状態で怒鳴り散らし、業務が始まるとすぐに椅子で熟睡してしまう。そして昼時に目覚めて昼食時に再び飲み(昼から日本酒を冷やでがぶがぶ飲む)、午後はまた眠り、夕方に目覚めるとまた飲むのだ。

それでも最初は客先との会合や打ち合わせがない日だけの状態だった。しかし、徐々にそれが悪化していき、顧客訪問の日の朝もベロベロで出勤してくるようになっていく。

さすがにそのような場合には上司は置いていくようにしていたのだが、そういう態度が気に入らなかったのか、僕がいない時を狙ってベロベロの状態で客先に電話を掛けるようになる。当然訳が分からないことばかり言うし、怪訝そうな声をあげる顧客を怒鳴りつけてしまうこともあり、それが理由で取引がなくなるケースも出てきた。

客先への納品に自分が行くと言い張って朝の9時過ぎにオフィスを出て、40分ほどで着くはずの顧客に一時間半以上経っても辿り着かず、昼前に前後不覚の状態でやってきたと、顧客から僕宛に電話が掛かってきて、「勘弁してくださいよ」と言われたこともあった。

そして時代はITバブル崩壊を迎え、過去最高益を出したうちの会社にも大きな試練がやってきた。だが、営業責任者の上司には、もう出来ることは何もなかった。

ガラガラと下がっていく売上げと士気、そんな中で上司は更に荒れていき、泥酔して顧客を怒鳴り、部下にセクハラし、オフィスで嘔吐し、道端で自転車と衝突して血まみれで倒れてパトカーで会社まで連れてこられ、そして地下鉄のエスカレーターの一番上から一番下まで転がり落ちた。

詳しく書けばキリがないのだが、上司はそのような醜態をさらし続け、自己嫌悪と嘔吐と連続飲酒による恍惚の狭間を行ったり来たりしながら体力と気力とプライドをなくしていき、そして自らの命を絶った。

彼は複雑な事情の家庭で育ち、自らの結婚も非常に短命で不幸な結果に終わり、心の中に大きな空白を抱えていた。そしてそれを埋めるために酒を飲んでいた。彼にとっての飲酒は、仕事の後のリラックスのための一杯でもなければ、好きな女の子と親密なひとときを過ごすための潤滑剤でもない。ただただ、自分の心の空白に耐え切れない素面の時間を忘れさせてくれる薬だったのだ。

彼は何度もアルコール依存症の蟻地獄から生還しようと試みた。専門の病院にも自ら入院したし、1ヶ月近く一滴も酒を飲まずに過ごしたこともあった。本人も何とか飲まずに、酔わずにいたいと願っていたのだ。だが、アルコールを求める身体と心は、彼の復活を許さなかった。

アルコール依存症は病気である。

胃が弱くてしょっちゅう胃痛を起こしている人間を責める人はいないだろう。よっぽどの暴飲暴食ばかりしていれば、生活態度を改めろ、と言われることはあっても、胃痛自体を「破廉恥」と呼ぶ人間はいない。

だが、中川大臣のケースで、民主党の偉い人達は、あの姿を「破廉恥」と呼んだ。何故破廉恥なのかといえば、中川大臣の飲酒が「気が緩んで」いたり、「やる気がなかった」り、「ちょっとぐらい飲んでもいい」という思いがエスカレートした結果、ああいうフラフラの状態で会見にまで出てきた、という考えからである。

だが、中川大臣は病気なのである。肺炎や肝炎などと同じような、重い病気なのである。アルコール依存症というのは立派な立派な病気なのだ。本人の意志を蝕み、プライドを破壊し、社会的存在であることが出来なくしてしまう病気なのである。

酒を飲むという行為が通常は自分がリラックスした状態で行われるプライベートな行為であるために、酔っぱらった状態で公な場所に出てくると、プライベートと仕事の区別が付いていない、つまりちゃんと仕事ができない、というレッテルを貼られ、それが「破廉恥」という判断になってしまうのだ。

だが、彼に必要なのはアルコールからの隔離と治療であって、糾弾ではない。糾弾されるべきは、もし中川氏の症状を麻生太郎首相が知っていたなら(知っていただろう)、そんな状態の中川氏を財務大臣という重責を担うべきポストに据えた首相である。

覚醒剤や麻薬と違って、アルコールは摂取する行為自体は違法とされていない。だが、アルコールも覚醒剤と同じ薬物なのである。そして覚醒剤よりも遥かに安価で圧倒的に入手が容易で、しかも中毒症状の進行が麻薬よりもずっと遅く、中毒にならないハッピーな酔っぱらいが大勢を占めている。

だからこそ、アルコール依存症に対する日本人の意識が高まらないのだろう。だが、中川氏を「いい加減な人間」、「破廉恥な人間」と責めることは、肺炎で熱を出している人間に対して「だらけているから肺炎なんかになる」、「こんな大事な仕事の日に肺炎になるなんて」と言って集団で一人を責めていることと余り変わらないということを認識してもらいたい。

大の大人の男が壊れて行くのを周囲が止めることなど、そう簡単には出来ないのだ。だから、せめて出来ることは、周囲は本人を責任が重すぎるポジションに登用しないことだし、症状が進んだら、誰かが心を鬼にして本人をアルコールが入手できない場所に隔離し、合理的治療を受けさせることだ。

中川氏が、中川氏の父や僕の元上司と同じような末路を選ばなければと願って止まない。彼の今回の行為をかばう気はないが、彼はいい加減だから飲んでいるのではないのだ。

多くのアル中患者は鬱病を併発する。そういう、とても重い病気なのだ。


人気ブログランキングへ ← ブログランキングに参加しました。クリックをお願いします!

昨夜リンク先だけ紹介した村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチの英語全文、ようやくじっくり読みました。いやー立派なスピーチだと思います。彼が常日頃から小説世界で表現している世界観がしっかりと継承されつつも、自分自身の言葉として、よりストレートに、そして誠実に語られていて、感動しました。

自分で全文を翻訳したいところですが、時間もないので、それは他の方にお任せしましょう。

「壁と卵」の部分はマスコミにも大きく取り上げられていますが、僕が個人的にとても心に響いたのは、村上春樹のお父さんが昨年亡くなったというくだりです。

亡くなったお父さんは戦争で中国に行った経験があり、戦後村上春樹が幼少の頃から、毎朝朝食前に長いお祈りをしていたとのことです。幼い春樹氏がお父さんに何故そんな長いお祈りを毎日するのか、と尋ねたところ、学校教師であり、僧侶でもあったお父さんは、戦争で亡くなった人々、敵も味方も全ての人々に祈っている、と告げたとのことです。そしてその言葉を聴いた春樹少年は、父の周りに死の影が浮かんでいるように感じたそうです。

春樹氏の父は亡くなり、彼が心に抱えていた想い出も彼とともに消滅してしまいました。そしてその父が抱えていた想い出を春樹氏が知ることはありませんでした。でも、幼少の頃に父の周囲に散りばめられていた死の存在を、春樹氏は今でもハッキリ記憶しており、それは彼が亡き父から受け継いだものの中でも最も大切なものだった、と述べています。

スピーチはこの後個としての人間、システムとしての国家という方向に進み、人間がシステムに打ち勝つには、一人一人異なる人間同士が心を響かせ合い、そのかけがえのなさ、大切さをお互いが信じることが大切だ、と導きます。そして最後に、我々はシステムに負けてはいけない。システムが我々を搾取することを許してはならない。我々がシステムを作ったのであって、システムが我々を作ったのではない、と結びます。

全体を通して、村上春樹が常日頃小説の世界で表現しようとしている世界が非常にまっすぐストレートに出てきていると思いました。政治的メッセージと捉えるマスコミがあるようですが、これは政治的ではないですよね。

英文で読んでも心に染みますね。日本の政治家でもこれぐらいの名スピーチが出来る人は出てこないですかねー。

最後に、Haaretz.comに掲載されていた英文を掲載しておきますのでご参考まで。

*******************************************

Always on the side of the egg

By Haruki Murakami

 

 

I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies. 

Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling them. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be? 

My answer would be this: Namely, that by telling skillful lies - which is to say, by making up fictions that appear to be true - the novelist can bring a truth out to a new location and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth lies within us. This is an important qualification for making up good lies. 


Today, however, I have no intention of lying. I will try to be as honest as I can. There are a few days in the year when I do not engage in telling lies, and today happens to be one of them.

So let me tell you the truth. A fair number of people advised me not to come here to accept the Jerusalem Prize. Some even warned me they would instigate a boycott of my books if I came. 

The reason for this, of course, was the fierce battle that was raging in Gaza. The UN reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded Gaza City, many of them unarmed citizens - children and old people. 

Any number of times after receiving notice of the award, I asked myself whether traveling to Israel at a time like this and accepting a literary prize was the proper thing to do, whether this would create the impression that I supported one side in the conflict, that I endorsed the policies of a nation that chose to unleash its overwhelming military power. This is an impression, of course, that I would not wish to give. I do not approve of any war, and I do not support any nation. Neither, of course, do I wish to see my books subjected to a boycott. 

Finally, however, after careful consideration, I made up my mind to come here. One reason for my decision was that all too many people advised me not to do it. Perhaps, like many other novelists, I tend to do the exact opposite of what I am told. If people are telling me - and especially if they are warning me - "don't go there," "don't do that," I tend to want to "go there" and "do that." It's in my nature, you might say, as a novelist. Novelists are a special breed. They cannot genuinely trust anything they have not seen with their own eyes or touched with their own hands. 

And that is why I am here. I chose to come here rather than stay away. I chose to see for myself rather than not to see. I chose to speak to you rather than to say nothing. 

This is not to say that I am here to deliver a political message. To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course. 

It is left to each writer, however, to decide upon the form in which he or she will convey those judgments to others. I myself prefer to transform them into stories - stories that tend toward the surreal. Which is why I do not intend to stand before you today delivering a direct political message. 

Please do, however, allow me to deliver one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this: 

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg." 

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide. If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be? 

What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor. 

This is not all, though. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically. 

I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on The System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I fully believe it is the novelist's job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories - stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness. 

My father died last year at the age of 90. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the war. 

He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him. 

My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important. 

I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong - and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others' souls and from the warmth we gain by joining souls together. 

Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System. 

That is all I have to say to you. 

I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today.

 

*******************************************


 

 

人気ブログランキングへ ← ブログランキングに参加しました。クリックをお願いします!

エントリーに書こうと思いつつ忘れてしまっていたのだが、村上春樹のエルサレム賞の受賞スピーチについて、全文がなかなか掲載されず探していたのだが、14番目のサンダルさんのページからリンクが貼ってあり、無事読むことができた。

http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html

書きたいことは他にも色々あるのだが、僕以外にも探している人が複数いるようだったので、取り急ぎリンクだけ貼っておきます。感想とかはまた別途。


人気ブログランキングへ ← ブログランキングに参加しました。クリックをお願いします!

<<前のページへ 56789101112131415
free counters

 

 

 

あわせて読みたいブログパーツ

 

 

 

読んでるブログ
読んでるニュース
読んでる日記
Powered by Movable Type 4.23-ja

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このアーカイブについて

このページには、過去に書かれたブログ記事のうち日常カテゴリに属しているものが含まれています。

前のカテゴリは料理レシピです。

次のカテゴリはです。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。