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運命の分かれ道 情報発信する人、しない人

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現代日本において、パソコンにもスマホにもまったく触れないという人は、高齢者を除きごくわずかだろう。

また、SNSを1つも利用していない人も、かなり少数派のはず。

しかし、 同じようにSNSを利用していても、「情報発信」をしている人はごくわずかだ。

そもそも、日常的に自分が投稿することはなく、タイムラインを眺めているだけ、いいね!するのが精一杯という人も多い。

投稿している人も、大半が自分の「近況報告」や、友達・仲間との「交流」しか行っていない。

友達相手の「近況報告」や「交流」がいけないといっている訳ではない。

近況報告や交流もSNSの主たる目的だから、活用することに何も問題はない。

ブログも読んでいるだけの人が大半で、書いている人もほとんどが「日記」を書いている。

ブログに日記を書くことも、決して悪いことではない。

ただし、近況報告、交流、日記ブログは「情報発信」ではないということを理解せずに行っている人が大多数だ。

僕のところに「ブログをやっているんですが人気が出ません。なぜでしょうか?」という相談が寄せられる。

ブログを見させてもらうと、ほとんどの記事が日記や雑記で占められている。

残念ながら、日記を書いていてもブログのアクセスアップにはつながらない。

世の中にはブログやSNS、YouTubeなど個人メディアによる情報発信で、「ただの一般人」からブレイクし、出版したりメディアに出たりするようになった人が数多くいる。

もちろん僕もその一人だ。

僕はブログとSNSを組み合わせた情報発信で41歳にしてサラリーマンを卒業し、プロブロガーとしてこれまで7冊の本を出版、今年には8冊目の本を出す予定だ。

僕がブロガーであることは皆さんご存知だが、僕がブログを始める前に13年間「インターネット日記」を書いていたことを知っている人は少ない。

1996年から2008年まで、僕はインターネットに「日記」を書いていた。

13年間ひたすら日記を書いたが、僕の人生は何も変わらなかった。

そして2008年僕はある重大なことに気づいた。

「日記ではなく、情報発信をすれば、人生が変わるのかも」と。

日記とは、知り合いや友達、親や親戚など「発信者のことを知っている人」、つまり「身内」に向けて書かれるものだ。

芸能人など圧倒的知名度を持つ人は例外で、一般人が書いた日記を読みたいと思うのは身内だけだ。

芸能人は存在自体が非日常なので、芸能人の暮らしや舞台裏を見たいと望むファンが何百万人もいるため、日記が読まれる。

しかし、例えばあなたのオフィスの隣のビルで働いている45歳の課長が書いた日記を読みたいと思う人は身内以外いない。

問題は、多くの人が「情報発信」と「近況報告・交流・日記」の区別がついていない点。

芸能人の日記ブログの真似をしてアメブロを開設して日記を書いても、よっぽど文才があったり特殊な仕事でもしていない限り、日記ブログがブレイクすることはない。

では、ブログやSNSであなたの人生を飛躍させ、ブレイクしたいと思うなら、何を書けば良いのか?

それが「情報発信」だ。

情報発信とは、多くの人に役立つ情報や、心が動くストーリーなどを発信することを指す。

近況報告や交流との違いは、発信者を知らない「第三者」「赤の他人」にも必要とされ、読まれるコンテンツであるということだ。

例えばあなたが料理が得意だとする。

実際に料理を作って食べてもらうのは、自分と家族、それにごく限られた近しい友人などに限られるだろう。

しかし、あなたが自分の得意料理のレシピを美味しそうな写真や動画とともにブログに掲載したとする。

例えばあなたが「絶品カルボナーラパスタの作り方」というタイトルでブログを書いたなら、興味を持つ人はあなたの家族や知り合いだけではない。

あなたのことを知らない第三者でも、「絶品カルボナーラの作り方を知りたい!」と思う人があなたのブログを読みに来るのだ。

ブログやSNSを活用して「ただの人」から「インフルエンサー」「特別な人」に登り詰めた人たちは、みな「情報発信」をして、多くの人に読まれ、観られるようになっていったのだ。

多くの人が知りたい情報、特定の物事に対する尖った意見や主張、憧れるようなライフスタイル、感動するメッセージなど、多くの人の役に立ったり、心をゆさぶった人達が、情報発信で人生を劇的に変えていったのだ。

使っているのはパソコン、スマホにブログ、SNS、YouTubeなど、誰もが使っているツールだ。

違うのは、ブログやSNSを読んでいるだけだったり近況報告・交流しかしていないか、「情報発信」をしているか。

同じようにiPhoneを持っていても、情報発信をしていない人のライフスタイルは20世紀と変わらない。

「情報を他人から受け取るだけ」という意味だ。

20世紀は発信源がテレビ、ラジオ、新聞、雑誌・書籍、映画などのマスメディアに限られた。

それが21世紀に入り、ブログ、SNS、YouTubeなど個人メディアがマスメディア以上の力を持つようになった。

しかし「情報を他人から受け取るだけ」の人は、選択肢が無限大に増えただけで、受け取るだけであることは20世紀と変わっていないことに気付いているだろうか?

SNSのアカウントを持って投稿していても、近況報告や交流しかしないなら、それは仲間内の飲み会やサークル活動の延長線に過ぎない。

ツールは発達し圧倒的に便利になっていても、やってることは20世紀から変化していないのだ。

一方、個人における情報発信をしている人は、真の意味で21世紀を生きているといえる。

20世紀には受け取ることしかできなかった個人が、情報発信により「自らが放送局になる」ことができているからだ。

発信する人は読み手に影響与える。

影響力を持つ人のところには、「情報」と「人」、そして「お金(仕事)」が集まり、ますます影響力が強まっていく。

21世紀は「情報革命」の時代と言われている。

「誰にも絶対にできなかったことが、誰にでも簡単にできるようになる」ことを「革命」と呼ぶ。

情報革命前には「誰にも絶対にできなかったこと」。

それは「個人が世界中に向け、情報やメッセージを自由に発信すること」に他ならない。

同じようにスマホとSNSのアカウントを持っていても、あなたは交流しかしてないのに、隣の人はせっせと情報発信をしているかもしれない。

やっていることが違えば、これから先の運命も大きく分かれていくだろう。

情報発信する人としない人、スタート時はほとんど差はなくても、数年単位で見ると、大きな人生の分岐点となっていく。

13年間ひたすら日記を書いても人生が変わらなかった僕が、ブログをスタートさせ2年4か月で独立し、3年後にはいきなり4冊の本を出版することになった。

そんなことが当たり前に起こるのが、「情報革命」の時代なのだ。

あなたはどちらの道を選びたいだろうか?

情報発信をして「自らが放送局となり、多くの人の役に立ち感謝されつつ、自らのライフスタイルを謳歌する人生」か。

もしくは、「他人の発信を受け取るだけで、今までと変わらず無名のまま生きる人生」か。

最後に重要なことを伝えたい。

どちらの人生を歩むかは、あなたが選べるということだ。

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