ライフスタイル

家にテレビがない生活を5年続けて想うこと [ライフスタイル]

ライフスタイル
スポンサーリンク

我が家にはテレビがない。

デュアルライフの六本木の家にも、鎌倉の家にも1台もテレビがない。

自動車のジュリちゃんのカーナビでテレビが見られるらしいが、一度も使ったことがない。

テレビを見なくなったのは、2011年の東日本大震災のあとだ。

当時住んでいた文京区小日向の家にはテレビがあったが、全然見なくなり、その後元麻布に引っ越したあとから、完全にテレビがない生活になった。

なので、テレビなし生活も、もう5〜6年になる。

ちょっと振り返ってみよう。

スポンサーリンク

家にテレビがない生活を5年続けて想うこと [ライフスタイル]

テレビがなくて不便なこと

テレビが見られない

テレビがなくて不便なことは、何といっても「テレビが見られないこと」だろう(笑)。

僕はロンドンオリンピックも、リオオリンピックも、一秒も見ていない。

サッカーワールドカップもWBCも、大相撲も半沢直樹も、もちろん見ていない。

正直、オリンピックやワールドカップのときは、多少観たい、という気持ちが働くこともある。

でも、テレビがないんだから、見ることができない。

幸か不幸か六本木の家の近所にはスポーツバーはたくさんあるので、大きな試合のときは出かければ見られる。

でも実際出かけていって見たことは一度もない。

まあ、その程度の「観たい」なのだろう。

あと、地震や台風などのときに速報が見られないのは、最初ちょっと不便だっだ。

でも最近はネットもすごく充実してきて、テレビがなくても速報は十分得られるようになって不便を感じなくなった。

芸能人・お笑い芸人・スポーツ選手がまったく分からない!

この5〜6年の間に世間で有名になった芸能人、お笑い芸人、スポーツ選手などはまったく分からない。

告白すると、僕は「マツコデラックス」という人が、何をやっているどんな人なのか、全然分かっていない。

もちろん有名らしいので、ネットで顔は見たことがある。

でも声を聞いたこともないし、具体的に何をやっている人なのかも知らない(あの人はお笑い芸人なの?ゲイなの?何なの?)。

僕が最後にテレビを見ていた頃、テレビでは小島よしおが「そんなの関係ねぇ〜」とやっていた。

僕の中の芸能人は、その時代で止まっている。

あと、プロ野球の選手と大相撲の力士の名前が、どんどん分からない人ばかりになってきた。

まあ、これも不便というほどではないけれど、不便といえば不便かな。

テレビをなくして良かったこと

自分に無関係な出来事に振り回されなくなった

テレビをなくして良かったことは数知れない。

まず、自分に無関係な出来事に振り回されなくなったことが大きい。

テレビの番組はどうしても、視聴率を稼ぐためにセンセーショナルに、インパクト重視で作ってある。

殺人事件、政治家の汚職、芸能人の不倫。

全部僕には何も関係のない話ばかりだ。

テレビが付いていたころは、どうしてもそれらのどうでも良い話に耳がダンボになり、心がざわざわしたり興味津々になったりしていた。

結果、振り回されていたのだ。

テレビがないと、ニュースとの距離感は自分で決めることができる。

ネットのニュースは自分でクリックしないと中身が見えない。

「くだらない」と思ったらクリックしなければいいのだ。

遠い場所で起こった殺人事件の犯人に関するニュースを1日聞くこともない。

なんちゃら学園がどうしたこうした、ということも、僕には本質的な話とは思えないので、どうでもいい。

溢れている情報を取捨選択できるようになるのが、何よりもありがたい。

圧倒的に自分の時間が増えた

テレビというのは受け身のメディアで、前に座っているだけで延々と番組が押し寄せてくる。

なので、思考停止して一日中テレビを見続けることができる。

テレビを捨ててしまうと、そういう過ごし方ができなくなる。

良くも悪くも、主体的にならざるを得ないのだ。

「なんとなくテレビの前でボーッと」過ごすことが不可能になる。

すると、不思議と人間は、自分から「これをやろう」と考えて行動するようになる。

そうすると、以前はできなかったことをする時間が、すごく増える。

良く僕はいろんな人から生産性の高さを驚かれることがある。

その生産性の高さの一部は、テレビがない生活のおかげかもしれない。

だって、サッカーの試合を一試合見ちゃったら、その日の夜の活動は全部それで終わっちゃうよね。

僕はそれを5年一度もやってないんだから、その分自分の時間は大きく増えている。

とにかくテレビがなくなって、自分の時間は大幅に増えた。

物事の「ウラ」を必ず見ようとするようになった

テレビを見ていなくても、世の中の必要な情報は全部ちゃんと届く。

そして、ネット経由、そして友人から直接届く情報のほうが、テレビ経由の情報よりも僕は信頼性が高いと感じる。

だいたい、「テレビではいまこんなひどい報道をやってる」という話とともに、情報が届くのだ。

いかにテレビが偏向報道をやっているのか、いかにおかしなことを報道しているのか。

それを情報とセットで知ることができるようになったため、必ず物事の「ウラ」を見ようとするようになった。

たとえば、昨今テレビでは異常なほど、政治家や芸能人の「不倫」を徹底的に叩くようになっているように僕は感じる。

なぜテレビはそれまで必死になって、「不倫は悪」と騒ぐ必要があるのだろうか?

そのウラを探っていくと、とても興味深い事実に辿り着く。

これについては、いつかどこか、クローズドな場所で話をしたい。

不倫に限らず、テレビが放つ偏向報道を浴びずに済むと、嫌でも裏側が見えるようになる。

それはとても大きな収穫だった。

「他人の人生」より「自分の人生」を大事にするようになった

テレビがなくなって、僕は芸能人やスポーツ選手の人生よりも、自分の人生を大事にするようになった。

オリンピック選手が走る姿を見て感動するよりも、自分が走るようになった。

芸能人の人生を羨む代わりに、自分の人生をより輝くものにするための時間を作る努力をした。

他人の色恋沙汰をぼんやり眺めるよりも、自分が良い恋愛をして良いパートナーシップを構築したいと願うようになった。

誰かが誰かを叩いている番組を見て溜飲を下げるより、自分の生き様をより良くして、ストレスのない人生にするための努力をするようになった。

テレビは麻薬みたいなものだ。

画面の中で起こっていることを見ているとあっという間に時間が過ぎ、自分自身の痛みを忘れ、感情移入している間に人生をどんどん進めることができる。

それは単に「麻痺」しているだけのことで、僕、そしてあなたの人生が「好転」しているわけではない。

ただ、現実逃避して時間と痛みを麻痺させてくれるだけのことで、その間に人生はどんどん進んでしまい、残り時間はどんどん減っていく。

若くして亡くなった美しい芸能人の話は悲しいし感動的ではある。

しかし、その若くして亡くなった美しい芸能人とは、僕もあなたもまったくの無関係だ。

困難な人生を感動的に生き抜いたのは、その芸能人であって僕らではない。

僕は、赤の他人の芸能人の人生よりも、自分の人生を大切にして、精一杯生きたいと思えるようになった。

テレビを置かなくなって一番大きな収穫は、赤の他人である芸能人や著名人の人生の悲喜こもごもより、自分の人生を大切にするようになったことだと思う。

まとめ

テレビを日常的にほとんど見なくなっても、最後まで見ていたのがお正月の「箱根駅伝」だった。

大好きな大会だったが、お正月の三が日の貴重な12時間くらいを、テレビの前で過ごすことが苦痛になり、最後の2年くらいはHDDプレーヤーに録画して追い掛け再生で2時間くらいで見ていた。

でも、それすらも面倒になり、ある年に観るのをやめた。

いまでもテレビがあったら楽しいだろうな、と思うことはある。

でも、テレビがなくて感じる不便よりも、テレビをなくしたことで得ていることの方が、僕にとっては圧倒的に多い。

なので、今後もしばらくはテレビはなし、という生活を続けるだろう。

映画のDVDとかはMacで見られるし、必要な情報はいつでもネットでゲットできるしね。

僕の人生を大きく変えた要素の一つは、テレビを捨てたこと、なのだと、この記事を書いて再認識した。

タイトルとURLをコピーしました