エッセイ

本当にやりたいことをやる人生を得るには 代わりに捨てなきゃいけないものが必ずある

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昨日と今日は12期TLIベーシックの第4講だった。

全5講のうちの第4講、いよいよビジョン・ミッションを描く回だった。

魂から湧き上がるビジョンやミッションを描くのに苦労する人が続出したが、それはプロセスとしてとても良いこと。

2日目の夕方になっても、まだまだ「本当にやりたいことは手に入る訳がない」という前提で捉えている人がたくさんいた。

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本当にやりたいことをやる人生を得るには 代わりに捨てなきゃいけないものが必ずある

本当にやりたいことは手に入らないという前提でしか考えられないのには、いくつか理由がある。

その最大のものは、「手に入る」と思ってしまうと、行動しなければいけなくなってしまうから。

そして、行動してしまうと、本当にやりたいことをやる人生が手に入ってしまうから。

え?手に入って困ることなんてあるの?

それは大いにある。

本当にやりたいことをやる人生にシフトするということは、同時に「今までの人生を捨てる」ことを意味するからだ。

今までの仕事で培ってきた実績や肩書き、年収、それに同僚や後輩との関係性などを捨てることになる人もいるだろう。

嫌々ながらも愛着があったり、辛いなかにもやりがいがあったり、誇りやプライドを持ってしてきた仕事を去ることになる場合だってある。

でも、それら二つの人生を同時に生きることはできない。

やりたいことをやる人生を選んだとして、本当に食っていけるか分からない。

お金が儲かるか分からない。

成功するか、信頼されるか、実績を作れるか、何の保証もない。

そんな、なんの確証もない世界に飛び込む代償に捨てなければならないモノは、あまりにも大きく愛着があり、憎いけれども誇りもあるものだったりする。

本当にそれを捨てるのか。捨てなければならないのか。

ここに多くの人は逡巡する。

僕も、2010年に勤務先の会社を辞める決断をするときには、この点がめちゃくちゃ怖かったし、決断までにずいぶん悩んだ。

でも、どんなに悩んでも、答えは一つ。

「めちゃくちゃ怖い。でもどうしても、何がなんでもプロブロガーとして独立したい」ということだった。

ここで決断しなければ、一生後悔するし、きっと二度とこんなチャンスはない。

泣きべそをかきながら、震えながら僕は決断して、そして前に進んだ。

あのときの決断がなければ、今の僕はない。

7冊の本も年間1000万PVまで育ったブログも、六本木と鎌倉と南麻布の家もなかったことは確かだ。

本当にやりたいことをやる人生にシフトするためには、今までの人生で培ってきたものを捨てなきゃならない。

その勇気が必要なのだ。

勇者になる必要はない。

臆病なまま、泣き虫なまま、それでも進むのだ。

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