日記

日刊たち vol.95 新米フリーエージェントな日々

日記
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図書館についてちょっと考えた。

先日「断捨離」についての本を読みたいなと思い、元祖断捨離のやましたひでこさんの本を読もうと思い、調べてみた。

図書館で予約できるかな、と思って検索したところ、地元文京区の図書館には何と250件もの予約が入っていた。

 

 

これは当分読めないなと思い購入したのだが、どうも気分がスッキリしない。

250件の予約に心が引っかかってしまったのだ。

 

 

この本は2009年12月に初版が出ている。僕の手許に来た本で既に30刷だから、大ベストセラーだ。

だが、東京都文京区の図書館に、出版後一年半が経過した時点で250件の予約が入っているということは、一体日本中の図書館に何件の予約が入っているのだろうか。

現在進行形の予約がこれだけ入っていたら、いったい何人の人達が図書館から借りてこの本を読んだのだろうか。

本は1,500円である。図書館で借りて読んだ人達がお金を払って購入して読んだなら、この本は30刷ではなく、60刷かもっと行っているのではないだろうか。

 

 

大学時代は図書館が大好きで一日中図書館に篭っていたものだが、どうも大学の図書館と自治体の図書館ではスタンスが違うのかもしれない。

大学では、研究に必要な本、希少な本、すでに絶版となっている本などを、正しく分類して保存して閲覧できる状態にする、という基本方針があったように思う。

だが、新刊書をどんどん図書館が蔵書して、それを人々に無料で貸し出すという仕組みは、果たして正しい姿なのだろうか。

 

 

図書館の利用は無料だ。

もちろん僕らが払っている住民税が原資となっているわけで、間接的には料金を支払っているわけだが、それでも読みたい本は無料で読める。

読者としては「賢く使ってただで本を読みましょう」となるわけだが、出版業界や著者の人達から見たら、迷惑そのものだろう。

 

 

先日、新刊書は一定期間図書館に蔵書しないで欲しいと嘆願するコメントを自著に貼り付けた小説家の記事を読んだ。

自身の印税が年間200万円に満たないフルタイム小説家の本が、その人の住む自治体の図書館で40件以上の予約が入っているのを見てショックを受けたそうだ。

著者が本来得られるはずの収入を自治体が奪ってしまえば、本を書くというモチベーションを持つ人がいなくなってしまうだろう。

 

 

読者に本を無料で行き渡らせるというコンセプト自体が時代に合わなくなっているのかもしれないし、コンセプトは合っているとしても、せめて著者に正しく報酬の代償が与えられる仕組を作らないと、只読みを自治体が推奨して、著者が損をするという構図になってしまうのではないか。

 

そんなことを考え、図書館の利用が後ろめたくなってしまった。

 

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