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原爆ドーム 訪問レポート 〜 市民を巻き込む戦争の悲惨さを無言で伝え続ける第二次世界大戦の遺産に祈りを捧げた!!

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広島市中心部にある「原爆ドーム」を訪問したのでご紹介します。

こんにちは。ビジネス書作家・ブロガー・心理カウンセラーの立花岳志です。

当ブログでは、僕自身、そして読者の皆さんが人生をより自由に、より楽しく生きるための情報やメッセージをシェアしています。

僕はランニングを日課にしています。

旅先で朝にランニングで城趾や名所などを訪れる「旅ラン」を続けています。

広島市での旅ランは記憶では初めて。

宿泊していたホテルから1.5kmの距離にある原爆ドームを訪れることにしました。

また、この旅の様子は2021年9月 東京・広島旅行記という形で以下のタグにまとめています。

2021年9月東京・広島旅行記
「2021年9月東京・広島旅行記」の記事一覧です。

さっそく紹介しましょう。

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原爆ドーム 基本情報

原爆ドーム 住所

広島県広島市中区大手町1-10

原爆ドーム 元の正式名称

広島県産業奨励館

原爆ドーム 地図とアクセス

路面電車または市内循環バス「めいぷるーぷ」、「原爆ドーム前」下車。

最新!原爆ドーム 1回目の訪問レポート!2021年9月

訪問日

2021年9月5日(日)の早朝にランニングにて訪問。

当日の様子

▲ 宿泊していた「カンデオホテルズ 広島八丁堀」から原爆ドームまでは約1.5kmの距離。

往復3kmのランニングで訪れることにした。

 

▲ ホテルからのアプローチで、最初に目に入ったのは「慰霊碑」だった。

今でも花や写真などが供えられている。

 

▲ 原爆ドーム、かつての広島県産業奨励館の全景が見える場所に来た。

最初に衝撃を受けたのは、崩れ落ちた瓦礫もそのままになっていること。

そして、2階部分のひしゃげた鉄骨もあらわになったまま保存されていたことだった。

 

▲ ドームのアーチ型の屋根の部分は教科書やテレビなどで何度も見て来たが、周囲の壁などが崩れ落ちた状態がそのまま保存されていることに衝撃を受けた。

 

▲ 当たり前のことだが、戦後76年が経過して、周囲は2021年の広島の町並みである。

その中にこの一帯だけが1945年8月6日のまま、時間を止めている。

 

▲ 原爆ドーム、かつての広島県産業奨励館の誕生から被爆、そして保存決定、世界遺産への登録の歴史を伝えるプレート。

 

▲ 周囲の町並みに溶け込むことを絶対的に拒否する強い意志を感じさせられる。

 

▲ 原爆投下から76年が経ち、保存修理は4回を数えているという。

この状態のまま保存し続けるのは本当に大変なことだろう。

 

▲ 原爆ドームはこの写真のすぐ左側にある。

しかし、こうしてドームを視野から外せば、何でもない2021年の平和な広島の街並みが続いているのである。

 

▲ 広島市が昭和42年に設置した碑文。

 

▲ 1996年に世界遺産に登録されたことを記す石碑。

まとめ

正直言って想像していた以上の衝撃を受けた。

衝撃を受けた最大の理由は、原爆ドームの建物全体が、崩れ落ちた瓦礫なども含め、そのままリアルな状態で保存されていたからだ。

事前のイメージでは、もう少し整えられ、見学するための整備がされているものかと思っていた。

しかし、訪れた原爆ドームは、ほんの数日前に火災にでもあったかのような、生々しい、そしてリアルな、そのまま剝き出しの姿でそこにあった。

この状態で原爆ドームを保存することには、大きな意義とともに、大きな痛みを伴うと感じた。

取り壊してキレイにしてしまえば、戦災と原爆の記憶はやがて薄れていくだろう。

その方が楽だと感じる人も多いに違いない。

しかし、敢えて広島市と広島の人々は、このリアルなドームを保存することを決意した。

それは大変な決断だったと感じる。

戦争を経験したことがない僕ですら、体内のDNAが発する痛みから頭痛がするくらいの衝撃だった。

訪れることができて、本当に良かった。

 

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