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昭和は遠くなったけど、50歳としての実感がない [エッセイ]

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最近想うことをそのまま書くエッセイ記事はnoteの有料記事にばかり書いていたけど、たまには本家のこちらにも書こうと思う。

昨日徳仁天皇陛下の即位礼正殿の儀が執り行われ、いよいよ本格的に令和の時代がスタートした感じだ。

時代が昭和から平成に変わったのは1989年の1月で、そのとき僕は19歳、大学一年生だった。

そして平成は2019年4月30日に終わり、その日僕は49歳だった。

そう、僕は平成の時代の間に19歳から49歳という、30歳という年齢を重ねてきた。

つまり20歳の成人からあとの僕の人生は全部平成という時代に含まれていたことになる。4月30日までは。

そしてそれはそのまま、僕の社会人としての人生も、4月30日までは全部が平成に属していたことになる。

これってなかなかの時間だと思う。

そして平成が終わった直後の7月5日に僕は50歳の誕生日を迎えた。

50歳である。半世紀生きた。

半世紀のうちの約20年を昭和で生き、約30年を平成で生きたことになるわけだ。

で、ここからが僕がこの記事で言いたいことなんだけど、僕はいまめちゃくちゃ体調が良い。

もう4年くらい風邪で寝込むこともないし、体重も今年の5月からのボディメイクでまた一段痩せて、79kgと、ほぼベスト。

体脂肪率も継続的な筋トレで落ちてきているし、何より全然ストレスがない生活になったから、とにかく元気だ。

筋トレとランニングとストレッチをしっかりやって身体に良いモノを適量食べて、ストレスなく機嫌よく生きている。

だから、僕は全然自分が「老けている」とか「衰えている」と感じることがない。

実際ボディメイクを改良型にした今年の5月以降は、人生で一番体調が良く、そして7月末で社長も辞めてお金の心配もなくなり、ストレスは皆無に近い。

僕はいま、人生で一番体調がよく、そして精神的にもリラックスして充実した状態にあると思う。

もちろん離婚やら再独立やらで大変だったので、いまはトップスピードで突っ走ってはいない。

恋人もいないし人生のミッションみたいなものもリセットされてしまったから、その辺は模索している感じであることも事実。

でも、僕自身が20歳のころにイメージしていた50歳の男性のイメージと、いま自分が50歳になってみての実感があまりにもかけ離れている。

20歳のころには体組成計がなかったから比較できないけど、僕は確信を持って、20歳ときより50歳のいまの方が筋肉量が多く体脂肪率が低い、と断定できる。

そして喫煙していて全く運動する習慣がなかった20歳のときよりも今の方が10km走でのタイムも良いに決まっていると確信している。

そうなのだ。個人的には僕はすごく心身が充実して、自己ベスト的な気分なんだけど、それが自分の単なる妄想なのか、事実として若いのかが、良く分からないのが問題なのだ。

僕自身が若い頃に持っていた50歳のイメージ。10年前に50歳だった人たちのイメージ。そしていまともに50歳を迎えつつある同級生、同い年生れの人たちのイメージ。

50歳にもなると、それまでのライフスタイル、生活習慣、ストレスの強度などで、同い年でも見た目の若さに大きな差が出てくる。

「若く見える」「若い」に客観的なデータはないので、せめて体組成計を「肉体年齢が表示される高性能のものに買い替えようか」とか思うわけ。

あと、今日になって思い付いたのが、筋トレとランニングも、数値的データ化した方が面白いかもということ。

もともとランニングはレースに出ていたわけで、フルマラソンを多分5本、ハーフマラソンはもうちょっと多い数のレースに出ていた。

ここ数年レースから遠ざかっているけど、身体能力を数値化したいなら、レースに出るのもいいかもしれない。

あと、筋トレに関しても、せっかくやっているんだから何かしらの大会みないなのに出てみるのも面白いかも。

筋トレに関してはランニングと違って一つも大会的なものに出たことがないので、まずは初心者が出られるような大会があるのか調べるところからだな。

いずれにしても、50歳という年齢のイメージがもたらす「高齢者入り口」的イメージを僕が抱いてしまうのこと。

それに対して圧倒的に体調が良く、どこにもガタが来ている感じを持たないことのギャップを埋めたい。

そんな感じで何かやってみたくなってきている。

あー、トライアスロンとかもいいかもね。

スイムに対する苦手意識が強いんだけど、せっかく海街に引っ越してきたんだし。

あとサーフィンとかね。これも海街ならでは。

 

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