エッセイ日常

幸せになりたい人が、最初にするべきこと

エッセイ
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「幸せになる」とは「固定観念」を書き換えること

「幸せになりたい」と願うといということは、あなたは「今は不幸」だと信じ込んでいるからこそ、幸せに「なりたい」と願っているわけだ。

しかし、その願いは永遠に叶わない。

なぜなら、「幸せではない」自分こそが自分のアイデンティティー、つまり固定観念なのだから、幸せになってもらっては困るのだ。

ここまで偉そうに書いてきたが、実は僕自身が、つい数年前まで、まさにこの固定観念を持って生きていた。

「僕は肝心なところで必ず失敗する」

「僕は生きたいようには生きられない運命のもとに生まれてきた」

僕はずっとそう思い込んで、つまりこれらの固定観念に支配されて生きてきた。

「僕は肝心なところで必ず失敗する」と思い込んで生きていると、ちゃんと肝心なところで失敗するような選択を自分でしていた。

「自分は生きたいようには生きられない」と信じ込んでいるから、本当にやりたいことは避け、わざわざやりたくないこと、不満なことを率先してやってきた。

 

でも、いまの僕はまったくそんなことは思っていない。

僕は「世界でももっとも自由かつ楽しく生きる人間の一人」だと思っているし、「経済的にも十分豊かに生きていく」と信じ込んでいる。

幸せとは「状態」だから、「なる」のではなく、「である」なのだ。

僕はいまこの瞬間に幸せだし、豊かだし、自由である。

幸せとは「なる」ものではなく「ある」ものなのだ。

 

といっても、僕は突然この境地に来られたのではない。

むしろ、大変な紆余曲折があった。

最初は「ブログで自己表現すれば幸せになれる」と思っていたが、そうではなかった。

次に「会社を辞めて独立すれば幸せになれる」と想っていたが、それだけでは足りなかった。

さらに「本を出版して売れれば、ブログが爆発的に読まれるようになれば幸せになれる」と思ったが、実現しても心は空虚だった。

どこまで行っても終わらないラットレース。

金を稼げば「もっと稼いでいる人がいる」ような気がし、「稼いだお金は全部なくなってしまうのではないか」と脅えた。

そして僕は徐々に気づいたのだ。

「僕がやってきたことは間違っていない。ただ、僕の自己鍛練には決定的に欠けているものがある」と。

それはなにか。

それは、「我は何者か」を問うこと。自らの「在り方」を自分に問うこと。

自己客観視、メタ認知ともいうが、「自らの固定観念を俯瞰すること」が、まったくできていなかったのだ。

【次のページ】「固定観念を書き換える」方法とは?

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