エッセイ日常

幸せになりたい人が、最初にするべきこと

エッセイ
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「思考」と「感情」の下に沈むのが「固定観念」

「幸せ」とは「目的地」ではなく「状態」であると書いた。

「お金がたくさんあれば幸せになれるだろう」と考えるのは「思考」である。

「お金を持つとウキウキする」というのは「感情」である。

僕たちは、常日ごろ、自分は「思考」と「感情」で生きていると思っている。

しかし、僕たちの思考と感情のもっと深いところには、「固定観念」が沈んでいて、僕たちのすべての言動を支配している。

「固定観念」というぐらいだから、固定されていて、そう簡単には変わらない。

僕たちはそれを「当然のこと」とか「世の中の仕組み」とか「常識」なんていう言い方をして、捉えている。

 

たとえば、「仕事とは汗水垂らしてする、辛くて苦しいもの」という固定観念を持っている人は、辛くて苦しい仕事に自らを投じる。

そして、「ああ、辛い、苦しい。仕事ってのは、どうしてこんなに辛くて苦しいんだろう」と嘆くことになる。

しかしいっぽうで、「仕事とは最小の労力で最大の成果をあげるもの」という固定観念を持っている人は、いかに苦しまずに楽に仕事を成し遂げるかしか考えない。

だから、どんどん短い時間で大きな成果をあげられるようになっていく。

 

固定観念はその人にとって、あまりにも当たり前すぎることなので、本人は固定観念を持っていることにすら気づかない場合が多い。

「俺はいつも女にモテる」という固定観念を持っている人は、たとえ恋人と別れても、すぐに次の良い人を見つけることができる。

いっぽう、「僕はどうせ女性には受け入れられない」という固定観念を持っている人は、すべての言動がこの固定観念に支配されてしまうので、女性にモテない。

「何をやってもうまくいかない」という固定観念がベースにある人は、「何をやってもうまくいかない」ことがすべての言動の出発点になっている。

なので、わざわざ上手くいかないことを選択して実行し(あるいは上手く行くことを実行せず)、当然のように上手くいかない結果が出ると、「ほら、やっぱり私は何をやっても上手くいかない」と納得して生きていくのだ。

いまあなたが不幸なら、それはあなたの固定観念が「私は不幸である」と定義しているから

幸せとは「目的地」ではなく「状態」である。

世界の幸福度ランキングで、日本よりも遥かに経済的には貧しい国の人々が、日本人よりも遥かに幸福度が高い、という結果を見たことがある。

最新型の冷蔵庫や掃除機などがある生活は、確かに「便利」だし、栄養面や衛生面における豊かさの充実により、寿命が伸びたりストレスが減ることもあるかもしれない。

しかし、経済的に豊かであることや、お金がたくさんあることなどは、最終的には人間の幸福に直結していないのだ。

 

最終的に一人の人間が幸福か不幸かを決めているのは、固定概念である。

「自分には何かが足りない」という固定観念を抱いている人は、どんなに稼いでどんなに豊かになっても、「自分には何かが足りない」という気持ちを癒すことはできない。

「自分には十分な価値がない」と思い込んでいる人、つまりそういう固定観念を持っている人は、どんなに仕事で実績を上げても、自分を正当に評価することができず、自信を持つことができない。

「自分は不幸である」と信じ込んでいる人に、周りがどんなに気を遣おうが、何をプレゼントしようが、どんなアドバイスをしようが無駄である。

「私は不幸である」と言っている人は、「不幸な自分」=「自分」と定義してしまっているのだ。

そういう人は、「幸せな自分」が訪れようとすれば、全力で拒否することになる。

そういう人は、不幸でなければならないのだ。

なぜなら、「不幸」が「自分」のアイデンティティーなのだから。

【次のページ】「幸せになる」とは「固定観念」を書き換えること

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