愛する家族が 余命48時間 と宣告された時に僕が決めたこと、したこと

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大好きだった祖母が亡くなった。

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祖母は100歳という高齢で、しかも昨年12月にも一度倒れて救急搬送され3週間ほど入院していた。

だから、そう遠くない将来に「その時」が来るだろうという覚悟はできているつもりだった。

しかし、昨年末に病院を退院したあとの祖母は元気だった。

お正月に新年会で実家に行ったときも、食欲も旺盛だったし知的好奇心も衰えず、本や雑誌をどんどん読んでいた。

だから、「まだしばらくは大丈夫」と安心していたのだが、現実は甘くなかった。

水曜日にかかってきた母からの電話で、僕の楽観的な予測は崩れ去ることになった。

ヘルパーさんに介助してもらって入浴している最中に祖母は意識を失い、そのまま救急車で大学病院に搬送されたのだ。

医師の診断は「心タンポナーデ」という重い心臓疾患。

動脈硬化から大動脈解離を起こしかけている状態で、担当医師には「手術しなければ48時間程度」の生存と診断された。

 

 

残り時間48時間。

このあまりにも重い言葉に僕は一瞬頭が真っ白になった。

そしてその後には、「そんなはずはない」と、事実を認めたくない気持ちが湧き上がった。

しかし、そんなことをしても意味はない。

医師はスペシャリストであり、診断を覆す材料を僕は何も持っていない。

ならば、現実にしっかり向き合って自分にできることをしよう。

僕はそう思った。

その48時間の間に僕がしたこと、思ったことを整理してまとめたい。

他の人の参考になるかどうかは分からないが、僕自身の気持ちの整理のためにも必要な行為なのだ。

 

 

 

愛する家族が 余命48時間 と宣告された時に僕が決めたこと、したこと

 

人生最大の後悔を繰り返すな

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今回祖母の旅立ちを見送るにあたり、僕には一つの決心があった。

それは「人生最大の後悔を繰り返さない」ということだった。

僕にとって人生最大の後悔とは、父方の祖父母(上の写真)の死にまったく立ち合えなかったことだ。

僕の両親は僕が小学生のときに離婚して、以降僕と弟は母と母方の祖母に育てられることになった。

父方の祖父母とも両親の離婚から数年は行き来があり、父方の実家にちょくちょく顔を出していた。

しかし、離婚した僕らが実家に行くことに親戚からクレームが入ったそうで、僕らは祖父母に会いに行くことを止められた。

そしてそのまま僕らは父を含む父方の親戚との交流がほとんどなくなったまま年齢を重ねていった。

そして、祖父母が亡くなったことは、僕らには知らされなかった。母すら知らなかったのだから、僕らが知る術はない。

僕は祖父母がいつ亡くなったのかも知らないし、お墓にも行ったこともない。

僕が祖父母が亡くなったことをちゃんと知ったのは、約10年前に、父に数十年ぶりに会いに行ったときに、父から聞いたときである。

これは僕にとって、人生最大の後悔となった。

 

 

今の僕ならもちろん自分で自分の行動を選択して突き進むだろう。

でも中学生だった当時の僕は弱くて無力だった。

おじいちゃんとおばあちゃんに会いに行きたい、と思いつつも、周囲のプレッシャーに負けて流されているうちに、おじいちゃんもおばあちゃんも亡くなってしまったのだ。

僕は両親が二人ともミュージシャンで夜に演奏の仕事が入ることが多かったたため、祖父母にすごく可愛がられて育った。

それなのに、その祖父母が亡くなったことも知らずにいた、というのは、本当に哀しいことだった。

愛する人が旅立つときにはきちんと立ち合いたい。そして悔いが残らないようにしたい。

僕はそう願っていた。

 

 

 

死はタブーではなく祝福であり達成である

以前の僕は死ぬことが怖かった。

自分が死ぬことももちろん怖かったし、家族や愛する人が死ぬことは絶対に避けるべきタブーだった。

しかし、昨年受講した岡部明美さんのLPL養成講座でさまざまな学びをしていく過程で、死に対するイメージが変化していった。

岡部明美 7期 LPL養成講座 総括 — 学んだこと 得たもの そして僕に訪れた劇的な変化 | No Second Life

 

 

この世に生まれてきたすべての人は必ず死ぬのだ。

人の生き方はさまざまで、誰一人として同じ人生を歩む人はいない。

しかし、全員に共通しているただ一つのこと、それは「死ぬこと」なのだ。

若くして亡くなる方もいれば祖母のように100歳という長い道のりを歩む人もいる。

でも死なない人は誰一人いない。絶対に死ぬのだ。

ならば、その「死」というものは、タブーではなく「必然」なのではないか。

生まれた瞬間から歩み続けてきた道の最終地点が死ならば、そこは忌み嫌うものではなく、ゴールであり達成であるのではないか。

長く生きて古くなりガタがきた肉体という限界を脱ぎ捨てて、自由に羽ばたけるようになる。

それは祝福なのではないか。

僕はそう考えるようになった。

なので、今回祖母が倒れて余命48時間と宣告されたとき、僕はこう感じた。

「祖母がいなくなってしまう、死んでしまうことが悲しい」ではなく、「祖母は今肉体という不自由な殻を脱ぎ捨てて脱皮し羽ばたこうとしている」と。

肉体を伴った現世の「生」のゴール地点に到達しようとしている祖母を、心から祝福してあげようと。

僕はそう思った。

 

 

 

病院のミッションより本人の希望を優先しよう

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今回痛感したのだが、病院という場所が担うミッションを正しく理解しないと、本人は辛い想いをしたまま旅立つことになる。

病院のミッションは「人を助けること」だ。病気を治すこと、と言ってもいいだろう。

熱が出れば下げようとするし、血圧が下がれば上げようとする。

身体の機能に異常があると、投薬したり手術したりして機能を正常に戻そうとする。

それが病院のシステムだ。

 

 

しかし、今回の祖母のケースは、余命48時間、つまり「治らない」患者なのだ。

この場合、病院のシステムは「治す」から「延命」にスイッチが切り替わる。

祖母が入院していたのは救急病棟だった。

そのせいもあったかもしれないが、病院のシステムに黙って乗っかってしまうと、患者はがんじがらめになってしまう。

身体は点滴とチューブだらけになり、呼吸器が付けられ、血圧や脈拍を測るための端子も取り付けられる。

酸素マスクを外せないように、両手はミトンが嵌められ、鍵をかけられてしまう。

もちろん病院は患者の「身体」のためを思ってしていることばかりなのだが、どうみても本人は苦痛そうである。

 

 

典型的だったのは、祖母が「水を飲みたい」と言った時のことだ。

看護士さんは「お水はいまはダメなんです。呼吸器で水蒸気を送ってますのでそちらで我慢してください」と言う。

「我慢?」という言葉に僕は強い違和感を感じた。しかしその時はその違和感の正体がわからなかった。

一旦自宅に帰ったときに奥さんと話していて、僕はその違和感の正体に気づくことができた。

おばあちゃんは、何のために我慢をしているのだろうか?

これが僕の違和感の正体だ。

我慢すれば病気が治って退院できるなら我慢する意味があるだろう。

「今日は我慢してね。でも明日になったら思う存分飲めるからね」。

これなら分かる。

しかし、おばあちゃんにはもう治る見込みはないのだ。

だったらなぜ最後に思う存分水を飲んではいけないのだ?

水を飲むのを我慢しても、大動脈解離が起こることを止められるわけではない。

だったら水くらい思う存分飲ませてあげたらいいじゃないか。

水を飲んで死期が1時間早くなったとしても、本人が喉の渇きを抱えて「水が飲みたいよー」と嘆きながら旅立つよりもずっといいじゃないか。

 

 

午後に再び病院に戻ったとき、僕は看護士さんにお願いしてミトンを外してもらい、水を飲ませてあげることにした。

病院は、家族が「責任を取るから」と宣言すれば、譲歩してくれるのだ。

寝たきりのおばあちゃんはコップで水を飲むことはできない。

小さく切って棒がついた、ペロペロキャンデー状のスポンジに水を含ませて飲ませてあげる。

唇の周囲もカサカサに乾いているので水で湿らせてあげる。

「もっと?」と聴くと「もっと」と言うので、どんどんあげる。

結局、4回くらいスポンジを含ませてあげると、「もういい」と満足してくれた。

それを時間を分けて2回してあげただけで、おばあちゃんはとても喜んでくれた。

そのときには思いつかなかったのだが、最後なんだから大好物の甘い物、アイスクリームくらい食べさせてあげれば良かった。

いずれにしても、病院のシステムは「延命」に向かうようにできている。

水を飲まなければ数時間の延命ができたのかもしれない。

しかし、病院にとって正しいことが、死にゆく患者の「心」の満足とはまったく対立してしまう場合もある。

死を目前にした人が希望することを最優先してもらえるように病院と交渉すること。

それがとても大切なことだと、今回学んだ。

 

 

 

本人の記憶を楽しい思い出だけでいっぱいにしよう

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今回祖母は心臓の疾患だったので、意識があったのが幸いだった。

親戚には脳出血で逝った人も過去にいて、そのような場合は本人と最後の会話をすることもできなかったが、今回はお話しをすることができた。

最後となった日の午後から夕方にかけて、母が買い物に行っている間に祖母と僕はずいぶんたくさんの話しができた。

意識がハッキリしている時もあれば、混濁している時もあった。

でも、目を開けている間はとにかく楽しかった思い出について語りかけ続けた。

僕が中学生の頃に一緒に柳川に行ったねえ、とか。

北海道にも皆で旅行に行ったねぇ、とか。

母の車であちこちにドライブに行って楽しかったねえ、とか。

ネコのクリちゃんとマリちゃんが小さかった頃は可愛かったねえ、とか。

そんなことをずっと話しかけていた。

おばあちゃんはそれに全部反応してくれて、ポツポツとだけれど思い出話をたくさんしてくれた。

 

 

途中意識が混濁して、僕を弟と勘違いした時があった。

弟は母と仲違いをして連絡が取れなくなってしまっていて、今回もメールは送ったものの姿を現していなかった(彼はお葬式には来てくれた)。

祖母はずっと弟のことを心配していて、それが意識に出てしまったのだろう。

僕のことを弟と間違えて祖母は大喜びだった。

両手で僕の手を拝むように握り、「うわー嬉しい、よく来てくれた」と何度も言っていた。

僕は弟になり切ることにした。

僕が「違うよ僕は岳志だよ」と言ったところでおばあちゃんは幸せにならない。

弟だと思って喜んでいるなら、最後まで弟だと思っていてくれた方がずっと祖母は幸せだ。

 

 

あと、音楽療法士でありセラピストでもある僕の奥さんからの提案もあり、一緒に歌を唄ってみた。

救急病棟の病室で歌うことに最初は抵抗があったが、僕が耳元で大きな声で歌うと、おばあちゃんも一緒に歌ってくれて、大喜びだった。

歌った歌は、「どんぐりグループの歌」。

おばあちゃんが経営していた音楽教室のテーマ曲で、故・浜口 庫之助さんがおばあちゃんのために作ってくれた曲だ。

祖母はクラシックの歌手だ。最後だって歌いたいだろうと思い、水を向けてみた。

息が苦しいので歌うというよりは「呟く」に近い状態だったが、すごく喜んでくれて僕も嬉しかった。

意識なくなるときまで、僕はひたすら「楽しい思い出」でおばあちゃんを満たすことに専念した。

 

 

 

照れずに「大好きだ」「感謝している」と何度でも言おう

僕は普段親や祖母に「大好きだ」とか「愛している」なんて絶対に言えない。

そういうことは「わざわざ言うことじゃない」的な雰囲気が我が家にはあって、お互いにそういうことは口に出さないのだ。

でも今回僕は、父方のおじいちゃん、おばあちゃんに言えなかった分もまとめて、おばあちゃんの意識がある間に、しっかり言葉で伝えると決めた。

「おばあちゃんの孫に生まれて本当に良かった」

「おばあちゃんに心から感謝している」

「おばあちゃんのことが大好きだよ」

まだ意識があった午後の時間に、ちゃんと伝えることができた。

おばあちゃんも、「岳志は私の自慢の孫だよ」と笑顔で言ってくれた。

普段だったら照れてしまい絶対言えない言葉だけれど、言わないままで終わらせたくなかった。

なので、おばあちゃんの意識がある間にきちんと言うことができて、おばあちゃんも僕に言ってくれて、本当に嬉しかった。

本当に最期のとき、脈拍が180くらいまで上がってしまい呼吸が逼迫して、もう意識がなくなってしまったとき。

母と僕はおばあちゃんの手を両側から握り、ずっと「ありがとうね!」「今までありがとう!」と呼びかけ続けた。

意識はなくなっていたけれど、きっとおばあちゃんに伝わったと、僕は信じている。

 

 

 

まとめ

祖母は水曜日の午後3時頃に倒れて病院に救急搬送され、金曜日の午後8時45分頃に旅立った。

お医者さんの診断に合わせるみたいに、倒れてから2日ちょっとで逝ってしまった。

限られた時間に何ができるか。どうしてあげられるか。

そのことを必死で 考え、自分に出来ることを全部やり切りたいと願った。

いま思えば、もっとああしてあげれば良かった、これもしてあげたかったとも思う部分はある。

でも、基本姿勢は大きく間違っていなかった、おばあちゃんはとても喜んでくれたと、僕は思っている。

 

 

昨日の午前中に斎場でおばあちゃんの身体は焼かれて骨になった。

でも僕は、うまく言葉にはできないけれど、おばあちゃんとは今も交流ができている気がする。

現世的、科学的、直接的コミュニケーションはもちろんできないけれど、違う形で交流できるようになったような感じがする。

「霊」とか「魂」とかとも違う、「波動」とか「質量」みたいなイメージなんだけど、これは言葉では現せない。

そんな感じがしている、としか言いようがないものだ。

 

 

そして今回おばあちゃんをしっかり見送ることができたことで、僕は父方のおじいちゃん、おばあちゃんに対して持っていた後悔の念も大分軽くすることができた。

過去と事実は変えられないが、未来と認識は変えられる。

今回僕はこの言葉を信じて行動し、そして自分の過去に対する認識を変えることに成功した。

今回のことを通じ、僕はますます「死」というものに対する恐怖感、タブー感がなくなったように思う。

もちろん自分が死ぬことはまだまだ嫌だけれど、死というものの存在を必要以上に恐れたり遠ざけたりする必要はないのだと再認識した。

こうして文章を書いている瞬間も、僕は一刻一刻、確実に死に向かって歩み続けているのだ。

だからこそ、一度きりの人生を悔いのないように生きよう。

No Second Life、おばあちゃんに教えてもらった多くのこととともに、今日も精一杯生きよう。

おばあちゃん、本当にありがとう!心から感謝してます!!

 

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