日常日記

元上司の命日 [日刊たち No.15]

日常
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4月28日は僕の元上司の命日だ。

大学に5年通い、さらに卒業後1年専門学校で翻訳の勉強をしていたため、僕は就職が遅くて24歳だった。

17年間勤めた翻訳会社に営業担当として入社したのが1994年4月のことだった。

 

 

入社当時この会社には色々と問題があったのだが、一番の問題は信頼できるまっとうな管理職がいないということだった。

嘘つきとか借金まみれとかの変なオッサンばかりがのさばっていて、いくら若手が頑張ってまっとうな仕事をしようとしても、管理職がメチャクチャにしてしまうので話しにならなかった。

社長は真面目で使命感の強い人なのだが、若手と直接話しをする機会がなくデタラメな管理職からの報告で判断せざるを得ないので、何が問題なのか分からないというジレンマがあった。

 

 

そんな状況を打破するべく社長が連れてきたのが、当時40代後半の小柄な男だった。
そしてその男は営業部長に就任。僕の直属の上司となった。

部長は大手重工業メーカーで防衛営業をやっていた人で、飲み過ぎで肝臓を壊して
会社を辞めたとのことだったのたが、とにかく天才であると同時に破滅型だった。

 

 

抜群に頭が良く閃きも素晴らしいのだが、感情の起伏が激しく、ちょっとでも自分の気に入らないことがあると、誰が相手でも怒鳴りつけ喚き散らす。

そして部長はひどい酒飲みだった。

僕はそれまでアル中の人が周りにいたことがなかったのだが、部長は完全にアル中だった。

大酒飲みとアル中の違いなんてそれまで考えたこともなかったのだが、この時に僕はハッキリ知ることになる。

 

 

大酒飲みは「お酒が好きな人」なのだが、アル中になる人は「酔っ払いたい人」なのだ。

端的に言うと、酔って自分の不幸な現実を忘れてしまいたい、という人がアル中になるのだ。

そして壊れてしまいたいと思っている人間を思いとどまらせることなんて、他人にはできないのだという無力感も、この時に初めて知った。

 

 

部長にはとにかく可愛がってもらった。ケンカもしまくったし(怒鳴られるのでこちらもやりかえすのだ)、部長のせいでお客さんととんでもないトラブルになってしまったことも何度もあったが、僕を第1の子分としてかわいがってくれた。

でも、部長の心の中にはとても大きな「辛い」「悲しい」「孤独」が詰まっていて、彼は酒を浴びて辛い現実を忘れることでしか、平穏を保っていることができなかった。

 

 

アル中には何段階かのステップがあり、徐々に重症になっていくのだが、やがて部長も「連続飲酒」という、もう一般の人と一緒に社会生活が営めないステップへと脚を踏み入れてしまった。

朝出勤してくると、もうその時点でベロベロなのだ。明け方に目を覚ますといきなり日本酒をあおる。出勤してベロベロの状態であちこちに電話をかけまくったり部下にデタラメな指示を出したりすると、酔いつぶれて寝てしまう。

 

 

そして昼休みに目を覚ますとフラフラと出かけていき、近所の飲食店でまた日本酒をがぶ飲みしてベロベロになり、オフィスに戻ってきてまたあちこちに電話をかけまくる。

そしてもちろん夜はまた飲み屋で飲み続ける。

起きている時間はとにかくひたすら飲んでしまうのだ。

 

 

当然のことだが、このような状態の人間が会社の中に、しかも社長の右腕としてい続けることは、できない。

社長は必死に部長に立ち直ってもらおうと努力したが、他人ができることには限界があった。

ある日限界が訪れ、部長は会社を去った。送別会もなくお客さん回りもできない状態で、ボロボロになって会社を去っていった。

 

 

そして部長が去った後のポジションに僕が就くことになった。

会社の業績は最悪で優秀な社員がどんどん辞めていく時期で、僕は色々と修羅場を経験することになったが、何とか会社はその後立ち直った。

 

 

そして、退職から1年経たずに部長は亡くなった。54歳だったが、その前の年の秋に最後に会った時には、もう65歳くらいに老けて見えた。

4月28日に部長は旅立った。辛い現実から離れて身軽になって、喜んでいるだろうか。それとも向こうに行っても虚勢を張ったり威張り散らしたりして周囲を困らせているだろうか。

 

 

僕は部長から本当に多くのことを教えてもらった。客先とのヘビーな交渉の時の腹の括り方、駆け引きの仕方などは僕の宝物だ。

防衛産業に長くいた人なので、肝の据わり方は半端なかった。サムライみたいなところがあった。

僕は部長に教わった通りに気合いを入れ腹を据わらせて、大口とのハードネゴに挑んだものだ。

 

 

「絶対に負けない」という気合いと「負けてゼロになっても構わない」という覚悟。これが必要だ。

とにかく一緒にいてあんなに疲れる人はいなかったけれど、今となっては不思議と悪い印象がない。

 

 

機嫌がいい時のニコニコした笑顔と、まだ元気で楽しく飲めた時の酔ってカラオケで唄う部長の姿が思い浮かぶ。

もう一度一緒に仕事をしたいか、と聞かれたら「二度とイヤだ」と答えるが(笑)、一緒に仕事ができて良かったか、と聞かれたら「最高だった」と答えたい。

 

 

部長、あっちで元気でやっててください。今日はイベントがあってお墓参りにはいけないけど、ときどきこうして思い出してますよ。

またいずれ飲みましょう。秋田の山の中でタクシーで遭難しかけたエピソードは一生忘れません。

ではまた近いうちに。

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