生き方・ライフスタイル書評

ニートの歩き方 by pha — ニートとノマドの歩き方 違いと共通点

生き方・ライフスタイル書評
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ご存知の方も多いだろうが、僕は2012年に「ノマドワーカーという生き方」という本を書いた。

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お陰さまでそこそこのヒットとなり、今もこうしてブログを書いたり本を書いたりセミナーを開催したりして生活できている。

「ノマドワーカー」という言葉は一過性のもので、いまはもうあまり耳にしないが、でもとりあえず僕はノマドということなっている。

ノマドワーカーというのは、「電子機器で武装したフリーランサー」というのが佐々木俊尚さんの定義だ。

電子機器で武装してブログとSNSを駆使して生きる。僕の働き方はそんなところだろうか。

いっぽう、似たように電子機器で武装してネットに常駐している人たちに、「ニート」という人々がいる。

「ニート」とは正式には、15〜34歳までの若年無業者を指すわけで、直接ネットとニートは関係ない。

しかし多くのニートの若者はネットと密接に関わって生きていることは事実だろう。

そんなニート代表選手、phaさんが書いた「ニートの歩き方」という本を、今さらながら読んだ。

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法pha 技術評論社 2012-08-03
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とても面白い本だった。

「ノマド」の僕と「ニート」のphaさんの共通項もあれば考え方が全然違う点もあって興味深かった。

ニートとノマドの歩き方の違いと題してみた。

早速紹介しよう。

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ニートの歩き方 by pha — ニートとノマドの歩き方 違いと共通点

共通点:ネットワークで生かしてもらっている

phaさんと僕の共通点は、ネットを活用して生計を立てていることだ。

ブログ、SNS、そしてブログから派生した書籍執筆というところまでは一緒だ。

僕の場合ここにセミナーとワークショップやイベントが加わるわけだが、出発点はかなり近い。

要は、ソーシャルなネットワークによって、自分の好きなことだけをやって食っている、という大きな共通項があるのだ。

これは言い換えれば、ブログやSNS、それに書籍の読者の方々に支えられて、生かしてもらっている、という表現が近いだろう。

「オフラインとオンラインの区別がなくなった」とphaさんは書いているが、僕もまさに同じことを思う。

リアルでもオンラインでも、ネットワークによって生かしてもらっている。

それはとても大きな共通項だし、僕はphaさんに共感するポイントだ。

違い:お金に対する考え方

本書「ニートの歩き方」が出たのが2012年9月で、このときのphaさんの年収は80万円くらいと書かれている。

シェアハウスに住み、ブログのアフィリエイト収入や、古本の「せどり」、テレビや雑誌の取材などが収入源とのことだ。

「極力働かない」という姿勢で、仕事の依頼があっても「だるい」という理由で断ったりもしている。

「ニートの歩き方」がヒットしたので収入は増えたのではないかと想像するが、お金に対する考え方は、僕とかなり違うように感じる。

僕はお金に対しては結構シビアに考えている。

「何とか食いつないでいければいい」とは思っておらず、きちんとした経済的基盤を作りたいし、母と僕らの老後を豊かに暮らせるところまでのお金をきっちり稼ぎたいと思っている。

phaさんのお金に対する考え方は、「好きなことだけやって、できるだけ何もせず、ぎりぎりのお金でも生きていく」という風に見える。

いっぽう僕のお金に対する考え方は「好きなことだけやって、できるだけ自分の価値を高め、豊かに生きていく」というものだ。

この違いが出るのには、僕は年齢がphaさんより10歳以上上で結婚もしており、しかも実家に資産と呼べるようなものもないという事情もある。

あと、僕は「会社がイヤ」というよりは、「自分のやりたいことをやって生きていきたい」という、会社を辞めた理由が違う点もあるかもしれない。

どちらがいいか悪いか、という話ではなく、姿勢の違いを鮮明に感じたのが、お金に関する部分であった。

共通点:余分なモノはいらない

phaさんの姿勢に共感した部分として、あまり物欲がない、という点がある。

僕は本やガジェットは好きだが、何でもかんでも買うコレクション癖みたいなものはない。

あと、ブランド物の時計とか鞄とか高い洋服とかにもほとんど興味がない。

車も持っていないし家も賃貸で、それで全然困っていない。

家に余計なモノがごろごろ転がっていることは、豊かさの象徴ではなく邪魔だしノイズだと思う。

常に持っていなくてもいいモノは、レンタルやシェアで済ますのは大賛成。

モノをたくさん持っているのが富の象徴という時代は終わったと、僕は思っている。

違い:だるくない

phaさんは「だるい」が口癖で、やたらと「だるい」を連発している。

あと、基本姿勢として「何もしない」状態が好きなようだが、この点は僕は全然違うなあと思う。

まあ、この辺りは「ニート」か「ノマド」かの違いではなく、個人としての個性の問題ではないかとも思う。

別にニートだから全員が「だるい」と連発しているわけではあるまい(笑)。

僕は「やりたいことがやれない」と思い込んでいたサラリーマンから脱出できたことが嬉しくて、とにかくいろんなことやっていたい。

あれもこれもと手を出しすぎて破綻するくらい、毎日を楽しんでいる。

この点はかなり違うなあと思った。

共通点:映画が見れない

笑ってしまったのだが、phaさんと僕の共通点として「映画が見れない」がある。

2時間も3時間も暗いところでじっと画面を睨んでいるという行為に耐えられないのだ(笑)。

ネットを見たり立ち上がって背伸びをしたりしたくなってしまい、集中力が続かなくなるのだ。

最近はだいぶ耐えられるようになってきたが、自分から進んで映画館に行こうとはあまり思わない。

DVDなら飽きてきたら途中で止められるし合間にネットも見たりできるので気にならないのだが、映画館は苦手だ。

共通点:選択肢が多いことは絶対的な善だ

phaさんのこの言葉には強く共感する。

21世紀は多様性の時代だと僕は信じている。

どんな生き方をしようと、どんな働き方をしようと、他人に迷惑を掛けたりしない限りは自由だ。

僕が都心に住む理由も、多様性が認められていて、選択肢が多いことが最大の理由だ。

人と同じことをしなければダメとか、隣が車を買ったからウチも、みたいに同調する必要はまったくないのだ。

逆に、人に何かを強制されることを僕は憎悪するぐらい嫌っている。

あなたはあなた。僕は僕。それぞれ違っていいし、尊重されるべきだ。

この点は譲れない。ココが1番大事。

違い:シェアハウスは多分無理

phaさんは会社を辞めてからずっとシェアハウス暮らし。

僕はシェアハウスで暮したことがないが、多分無理だと思う。

奥さんがいるということを差し引いても、僕はやはり自分の根城としての家が欲しい。

人と会って語ったり一緒にいろんなことをやるのは好きだけど、家族との空間としての家がないと苦しいと思う。

これは経験値が低いということも理由の一つかもしれない。

phaさんのように学生時代に学生寮に入っていて、1年中他人と一緒という生活を若いうちに経験したりしていると、平気なのかもしれない。

僕は空間を独占したいのと、あと、音がたくさん鳴っている場所が苦手なので、シェアハウスは無理だと思う。

共通点:時間をお金で買うのはやめよう

これも共感ポイントだ。

サラリーマン時代の僕は、せっかく頑張って稼いだお金を、「時間がない」という理由で無駄に使ってしまっていた。

たとえば夜遅くまで残業して疲れたからタクシーで帰る。これも典型。

あとは疲れているからとジャンクな外食を続けてしまう。

時間があれば、スーパーで買い物をして安くて栄養のバランスも良い食事を作れるのに、だ。

あと、まとまった休みが取れる時期がサラリーマンは限定されるので、どこに行くのにも割高料金で、しかも大混雑というのも同じだ。

phaさんの言葉を引用しよう。

「それは、会社に自分の時間を売ってお金を得たけれど、その得たお金でまた時間を買い戻しているだけのような気がした。それは本末転倒というか、何をやっているか意味が分からないなーと思ったし、別にお金があんまりなくても時間さえあれば僕は十分楽しく暮せるような気がしたので仕事を辞めたのだった」

前述したとおり、僕はお金があんまりなくても良いとは思っていないが、時間をお金で買うことはしないよう気をつけている。

せっかく自由なんだから、自由を満喫したいと思っている。

だから、おかしな仕事で自分を拘束して苦しくなるような働き方はしない。

好きなことだけやって、しっかり稼ぐ。それが僕のスタイルだ。

共通点:働かなくても食えていい

日本は世界でも有数の豊かな国である。

僕はこれから、時代は「働かなくても食える」に向かうと思っている。

これもphaさんと似ている考え方で、共産主義的な「平等」ではなく、ベーシックインカムに近い考え方だ。

アメリカほどではないにしても、大金持ちの人というのが存在し、そのいっぽうで貧乏な人もいる。

「貧乏な人」が暮らせる水準として「生活保護」があったりするわけだが、これをもう少し高い水準にしても、日本は十分やっていけるだろう。

「たくさん稼いで大金持ちになる」という選択肢もあり。いっぽうで「ぎりぎりでいいからずっと働かないで暮らす」もあり。

「貧乏」は20世紀までは「忌み嫌うべきもの」だったと思うが、これからは選択肢になっていく。

貧乏の「コンテンツ化」である。

「ベーシックインカムが導入されたら働かない人が続出して社会が崩壊する」という意見もある。

しかし、多くの人は「もっと豊かに」と望むだろうし、ぎりぎりの生活を望む人はもともと労働に向いていない人だというphaさんの意見に納得。

国が豊かになったのなら、働かなくても食えていい。

phaさんの、「大金持ちで働いていない人はOKで、貧乏で働いていない人はダメという論理はおかしい」というのに共感した。

まとめ

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年齢も経験も違うphaさんと僕だが、重要な点においては共通の考え方が多かったように思う。

「好きなことしかやりたくない」というのは大きな共通点。

phaさんは「何もしない」のが「好きなこと」だから何もしないだけで、僕は「あれもこれもやりたい」が「好きなこと」だから、あれもこれもやっている。

あと、「選択肢が多いことは絶対的な善」というのもまったく同じ考え方だ。

選択肢が多く、お互いが多様性を認め、人と違っていてもそれを攻撃したり排除したりしない。

そういう生き方ができることが、ニートでもノマドでも大切なのだと思う。

僕はお金持ちになりたいと願っていると書いたが、あくまでも「やりたいことだけをやってお金持ちになる」と決めている。

お金が儲かるからといって、満員の通勤電車に乗ったりイヤな奴の接待をして真夜中になったりする生活には戻らない。

せっかく手に入れたこの「圧倒的自由」を、二度と手放してなるものか、と思っている。

5年後、10年後、phaさんがどんな暮らしをしているか、楽しみである。

もっと早く読めば良かった。

だるくて楽しい一冊。僕らは共感時代のネオニート

 

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