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柳川藩主 立花邸 御花 — 立花家の豪華洋館を訪れ 我が祖先に想いを馳せた♪

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柳川エントリー最終回は、柳川藩主立花邸 御花(おはな)訪問記。

柳川は江戸時代には柳川藩というのがあって、立花家が代々殿様だった。

柳川藩主は立花家なのである。

で、うちの祖父も立花なわけだが、僕が子供の頃に祖母から聴いた話では、我が家はこの殿様の直系ではない。

立花家は関ヶ原の戦いで豊臣側についたこともあり外様でとにかくお金がなかったそうだ。

貧乏だったので部下が手絡をあげたときにも褒美を出すことができなかった。

そこで、やたらと家臣に「立花」の名前を与えることになり、柳川の町にはそこら中に立花さんが溢れることになったという。

その「名前をもらった家老のうちの一人」が僕のご先祖だったそうだ。

これは祖母から聴いた話で直接柳川の祖父関係者から裏を取ったわけではない。

だから本当のことかどうかは分からない。

来月実家に行ったら祖母に聞いてみようと思う。

ただ、藩主立花家はかなり頻繁に娘を外の立花さんのところに嫁がせているらしいことが家系図を見て分かった。

なので藩主立花家とウチも何らかの繋がりは、多分あるのだろう。

そんなことをぼんやり思いつつ、御花を訪れた。

 

 

 

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柳川藩主 立花邸 御花 — 立花家 本家の豪華洋館を訪れ我が祖先に想いを馳せた♪

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やってきました、柳川藩主 立花邸 御花。この呼び名が正式名称になったようだ。

 

 

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ここは江戸時代には柳川藩主別邸として、側室とその子供たちが暮す場所だった。

明治になり立花家が伯爵となり、明治43年にこの洋館と和風建築の折衷スタイルの邸宅が完成し、ここが立花伯爵邸となったそうだ。

 

 

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ここも一昨年も来ているのだか、前回は中に入らなかったような気が?

とにかく前回の訪問の記憶がほとんどない。どんだけダメダメな時期だったんだか。

 

 

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入場料500円で中に入れ、資料館も見学できる。せっかくなので入ってみよう。

 

 

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きれいな洋館。シャキッとしていて美しい。

 

 

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こちらが受付やレストランがある建物への入口。

 

 

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全体像はこんな風になっているらしい。

洋館が表に目立っているが、裏側に和風建築が回廊で繋がり、池が二つもある。

 

 

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1912年というと大正元年。うちの祖母が生まれる前の年だ。祖父はもう生まれていただろうな。

この中に親戚がいるのか、いないのか。

遠縁くらいにはなるんじゃないかと思うのだが。

 

 

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こちら柳河城の模型。いつから「柳河」が「柳川」になったとか、詳しいことは調べていない。

今度調べてみよう。

 

 

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庭園に出ると、大広間の見事な縁側。

大広間は普段は開放されているらしいのだが、この日は何やら団体さんが宴会をやっていて中を見ることができなかった。

 

 

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これだけ広い座敷から庭園を眺めて暮らすというのはどんな気持ちかねえ。

 

 

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広間の廊下側。消防隊のヘルメットみたいなのが並んでいる。

 

 

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順路に従うと洋館に出る。こじんまりしているが結構凝った作りだ。

柳川藩は貧乏だったと聞いていたがこんな立派な洋館を建てられたんだねえ。

 

 

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この部屋はいかにも午後に紅茶でも飲みそうな雰囲気。女性が使っていたのかな?

 

 

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どの部屋も窓が大きいのでとても開放的。

 

 

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オルガンも当時のものが置かれている。

特に「さわるな」とは書いていない。触らなかったけど。

 

 

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明治、大正期の立花伯爵家は、男性は洋装、女性は和装で暮らしていたという。

この洋館で和服の女性たちとタキシード姿の男性が暮していたかと思うと何だか不思議だ。

 

 

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暖炉があるが、冬場はこれで寒さをしのげたのだろうか。かなりガランとした感じなので、寒かったのではないだろうか。

 

 

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いまは家具などがほとんど置かれていないので、当時の人々がどんなライフスタイルで暮らしていたのかが想像しにくい。

どんな家具を置いてたか、写真があったりすると楽しいのだが。

 

 

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ここは応接室だろうか。

 

 

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階段を下ると回廊を伝って和風建築の方に移動できる。

 

 

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こちらは一階にあった小さな部屋。

 

 

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壁に古地図が貼られている。

そして、この写真の左側に見えている、何やら飾り物みたいなものが天井からぶら下がっている。

なんだこれ?

 

 

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角を曲がるとこのように天井からやたらと飾りが。

なんだこれ?邪魔だな〜と思いつつ角を曲がってビックリ!!

 

 

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スーパーサイズのでっかいひな飾りがドーン!!うおーー!!なんだこの破格さは!!

 

 

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周囲にいた観光客もみんな「すごーい!」と声を上げる迫力。写真では十分伝わらなくて残念。

とにかく実物はすっごい迫力。

この天井からぶら下がってるのも意味は良く分からないけどすごい。

 

 

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これは恐らく一年中展示しているものではなく、お正月からひな祭りの間くらいだけではないだろうか。

なんか得をした気分。しかし凄かった。

 

 

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資料館にやってきた。立花家に関するいろいろな資料が展示されている。

写真はストロボを焚かなければOK。ありがたい。

そしてこれが藩主立花家の家系図。

写真中央の12・13代目の人が子供を25人も作っている!

もちろん側室が何人かいたのだろうが、それにしても凄いことだ(笑)。

 

 

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その25人の子供のうちの一人、立花敏さんという方(女性)に目が留まった。

この方は立花守雄さんという方に嫁いだとある。

僕のおじいちゃんの名前は立花守さんなのだ。何かビビッと来るよね?(笑)。

僕のひいひいおばあちゃんくらいだったりするかも?

今度実家に行ったらおばあちゃんに確認してみよう。

 

 

 

まとめ

「御花」という名前の由来は、江戸時代に立花藩主が別邸を作ったこの地が当時「お花畠」と呼ばれていたことに由来する。

終戦後に華族という身分がなくなり多くの旧華族の生活が逼迫するなか、立花家はこの邸宅を料亭「御花」として再利用することを思い立ったという。

やがてその経営は軌道に乗り、御花は柳川の名所として多くの人に親しまれるようになったそうだ。

そして今ではこの御花は料亭・旅館としての営業を続けつつ、「柳川藩主立花邸」という名勝として多くの観光客に愛されているのだそうだ。

 

 

僕のご先祖と直接の関わりがあるかどうかは良く分からないままやってきたが、来て良かった。

自分のルーツにはやはり興味があるので、次回柳川に行くまでにもうちょっと色々ちゃんと調べるようにしよう。

まずは来月祖母のところに行ったときに、詳しく話を聞いてみようと思う。

柳川なかなか深いな〜。

今度は御花で食事してみたいな〜。

 

 

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