エッセイ

同級生と自分の歴史を遡る麻布町歩き

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昨日は小学校1年生からの同級生と麻布町歩きをした。

ライターを生業としている彼女から、麻布という町に同時代に生きた同級生たちが幼少期からどのように町と関わりながら生きてきたのかを取材したい、と提案を受けたのだ。

今でも行き来がある複数の同級生たちに取材を行い、それを文章にしたいとのことで、僕がトップバッター、最初に取材を受けることになった。

六本木交差点で合流してまずは僕の旧実家があった場所へと向かい、その後は通っていた「麻布みこころ幼稚園」と「笄小学校」へ。

通学路を歩きながら、「ここが○○君の家」とか「ここにあった公園でいつも遊んでた」「高校生の頃にここでアルバイトしてた」みたいな話をした。

彼女と僕は笄小学校の同級生だったわけだが、学区域の一番端と端に住んでいた。

僕の家は西麻布一丁目でも一番六本木寄り、自宅から100メートルもないくらいで六本木になるエリアだった。

いっぽう取材をしてくれた彼女の家は南麻布五丁目で、広尾駅が近いエリア。

なので子供のころの遊び場や交友関係もかなり異なっていて、そんな話をしながら通学路を歩くのは不思議な気分だった。

六本木交差点や今のミッドタウン周辺、檜町公園などは僕にとってはホームだったが、彼女にとっては遠い場所なのだ。

笄小学校が近づくに連れ、共通の話題や友人の名前が増えていく。

彼女は女の子の同級生の家に詳しく、僕は男の同級生と遊んでいた時間が長かったので、女性の同級生の家の場所はほとんど知らなかった。

ぐるっと僕の子供時代の活動エリアを歩いた後、今まさに始まろうとしている西麻布三丁目の巨大再開発エリアを眺め、通し営業の中華料理店「中国茶房8」で飲みながら約4時間取材を受けることになった。

僕の場合、麻布との関わりは大きく3つの時期に分かれている。

まず幼少期から27歳で実家を出るまでの時期。

次が33歳から39歳まで、1回目の結婚相手と麻布十番に暮らしていた時期。

そして43歳から50歳まで、2回目の結婚相手と麻布十番と六本木で暮らした時期。

我々の同期はバブル期の地上げで麻布の土地を売って別の場所に転出していった人が多く、バブル期以降も麻布で暮らす人は非常に少ない、というかほとんどいない。

僕の場合は27歳で実家を出て1回目の結婚相手と一緒に暮らし始めたが、その後実家を売却することになり消滅(建物はいまも残っているが)。

その後自分の意志で麻布に戻ってきて暮らしてきたため、話題は幼少期から最近まで多岐に渡り、麻布の話というよりは僕の人生の棚おろしみたいになった。

インタビューしてくれた彼女とはお互い6歳から知っていて今も年に数回は仲間で集まり飲む間柄で、SNSでも繋がっている。

だから僕に起こったことは断片的には知っているけれど、僕の人生を網羅的に話したのは初めてだった。

というよりも、自分の人生を網羅的に4時間も語り続ける機会というのは、そうはない。

最近のことはときどき思い出すことはあっても、高校から大学時代にかけての恋愛やアルバイトの話などは思い出す機会も少なく、ほとんど忘れかけていたことをたくさん思い出した。

インタビューを受けていた中華料理屋からほんの数軒離れた、今まさに再開発で取り壊されようとしているビルに入っていた喫茶店で知り合った9歳年上の女性が僕にとって最初の恋人となったこと。

彼女が住んでいたアパートに入り浸りロックバンドの活動とアルバイトにのめり込んで大学を留年したことなど。

バブル真っ只中の麻布・六本木という超ハイテンションな時代と町と自分の青春時代ががっつりかみ合っていて、何とも眩い時代だった。

そんなことを感じながらありとあらゆる話をした。

僕が話した内容は今後彼女が原稿に仕上げてくれるとのことだが、僕だけに渡される非公開の部分、同級生だけにシェアする限定公開の部分、もしかすると一般公開する部分に分かれるそうだ。

同じ時代に同じ町に生きていても、住んでいたエリアや親の仕事や町との関わり方、学校以外の時間の使い方などで見ていた景色、感じていたことは同級生一人ひとりで全然違うだろう。

今後僕以外の同級生のインタビューも進めていくとのこと。

自分の人生は自分で知っているが、同級生たちが何を想いどう生きていたのか、読ませてもらえる日が楽しみだ。

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