「バブル最後の亡霊」退治完了!

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かつて日本にバブルという時代があった。

バブルという時代

 

 

そしてその時代に、僕の家は東京都港区の西麻布にあった。

日本中にお金か溢れた時代の主役は「土地」だった。

それも東京都心の土地だ。

土地が有り得ない勢いで値上がりを続けるので、購入した土地を割高な値段で転売するだけで、莫大なお金を得ることができた。

そんな時代に、わが家では祖母が自宅の改築工事を行った。

 

わが家にもいわゆる地上げ屋は来ていた。札束を積み上げて「ここの土地を売ってくれ」というアレだ。

だがわが家は土地を売らず、代わりに改築をすることにした。

 

当時わが家は3階の鉄筋ビル(というにはしょぼいが)で、1階と2階をわが家で住居兼音楽教室として使い、3階を賃貸の部屋貸しにしていた。

これを改築して、3階を自宅に、2階を音楽の演奏などもできる貸しホール兼音楽教室に(わが家の家業は音楽教室だ)、そして1階は事務所にして会社に貸すことにした。

 

当時70代後半になっていた祖母のところには、複数の銀行の営業マンが押し寄せた。

今であれば考えられないことだが、70代後半の女性に20年以上のローンを銀行が組んだのだ。

 

1階の事務所スペースの家賃収入と2階のイベントスペースがコンスタントに埋まれば、その「アガリ」でローンは十分返済できる。そういう計画だと祖母は言った。

 

当時僕は高校生で、世の中のことはまったく分かっていなかったが、「それはあまりにも計算が甘いのでは?」と不安だった。母は明確に祖母の計画に反対した。

だが、結局祖母は計画を推し進めた。

 

 

大掛かりな改築工事、そしてバブル崩壊

 

 

改築工事は建物の内装を全部取り外し完全に作り直す大掛かりなものだ。

そして時代はバブル。日本中で建築材が不足し、工務店の人員不足も深刻で、資材や人件費は着工前にどんどん値上がりしていった。

 

僕が大学に入った翌年に改築は完了した。1989年。東証株価が史上最高値3万8,000円台を付けた年、昭和が終わり平成が始まった年だ。

 

新しい家は素晴らしかった。

僕と弟の部屋は3畳間で窓もないというひどい状態だったが(しかも僕の体格を見よ!)、それでも生まれて初めて個室を持てたのは嬉しかった。

それに3畳間と言っても床はフローリング、壁はコンクリート打ちっ放し風でエアコンも付いていて、ゴキゲンだった。

わが家が建っていたのは崖下で、1階と2階はほとんど陽が当たらなかった。

それが改築で自宅スペースが3階になったおかげで、一日中太陽の光が僕らを照らした。

祖母、母、僕、弟の4人が幸せに暮らす新しいわが家は、ピカピカ輝いて眩しかった。

 

だが、この生活は長く続かなかった。バブルが崩壊したのだ。

 

 

バブル崩壊

 

まず影響は、2階のイベントスペースと1階の事務所という、ローン返済の中核に現れた。

バブルに浮かれた日本人は急激に悪化する消費者心理を反映し、イベントスペースで平日から浮かれる人間はまったくいなくなった。

そして1階の事務所に入居していた会社は業績が悪化し規模を縮小し出ていった。

そして別の会社を誘致するには、家賃を下げないと入るメドが立たなかった。

 

 

急激に膨らんだバブルがはじけ、土地の値段はネジが逆回転するように、猛烈な勢いで下がり始めた。

家賃を下げなければテナントが入らない。テナントが入らないとローンが返済できない。

だが、家賃を下げてしまえば、ローン返済額を家賃収入で賄えない。

まるで日本社会をごくごく小規模にしたような、まさに悪循環の縮図が、1990年代のわが家を襲った。

 

 

そして1998年、わが家は借金返済が不可能になり、土地と自宅を売却した。山一證券が破綻した翌年のことだ。

だが、売却金額は借入額を大きく下回り、土地と家を売ったにもかかわらず借金だけが残るという結果になった。

 

 

バブル最後の亡霊を退治!

 

 

家を売っても残ってしまった大きな借金を、祖母と母、そして数年前からは僕が引き継いでずっと返済してきた。

住んでもいない家の過去の借金を毎月毎月払い続けるというのはモチベーションの上がらない作業だ。

 

 

そんな借金も、残りの返済予定期間が2年を切った。

そして僕は今年4月にフリーになった。

今後は定期収入がなくなる。良い時もあるかもしれないが、厳しい時も多々あるだろう。

そんな時に、毎月の返済を抱えているのはイヤだ。

 

 

というわけで、今日、97歳の祖母、母と一緒に銀行に行って、一括返済の手続きを完了してきた。

22年のローンが終わった。

僕にとっての、「バブル最後の亡霊退治」がこれで完了したという感じ。

 

手持ちのお金は減ってしまって正直心細いのだが、僕はまだ41歳なんだから、これからバリバリ稼げば良し。

 

 

そして、この一連の出来事を経験したことは、僕の人生にとって、とても大きなプラスだったと思っている。

もし、あのまま実家が売りに出されなかったら、僕は西麻布の土地付き一軒家という大きな荷物を背負っていることになっただろう。

良くも悪くも、土地に縛られ、借金に縛られ、制約の多い人生を送っていたと思う。

 

 

家がなくなってしまったからこそ、「どこに住もうか」と考えられる。

お金がないからこそ「どうやって稼ごうか」と考えるようになる。

もしあの家をあのまま僕が引き継いでいたら、僕はとにかくあの家を守ることばかり考え、「西麻布」というブランドに縛られ続けただろう。

そうしたら、きっと僕は、今ほど自由ではなく、そして今ほど幸せではなかったような気がする。

 

 

一つだけ残念だったのは、利息のこと。

一括で繰り上げ返済をするのだから、当然利息分が一部戻ってくるとばかり思っていたのだが、そうはならないとのこと。

後払い式だったんだそうだ。知らんかった(^_^;)。

利息が戻ったら、家族みんなでパーッと飯でも食いに行こうと思っていたのだが、うまくいかないものだ。

飯代も稼げということだと受け止め、精進させてもらいます( ー`дー´)キリッ

 

 

 

ちょっとだけ写真など

 

 

Flickrに実家の写真が何枚か乗っていたので載せてみる。楽しい思い出だ。

 

 

3階の居住空間。これが僕の自室。3畳間!左側が隠れてしまっているので全体像は分からないね。

 

 

廊下。デザインも80年代的というか何というか(^_^;)。まあ当時はかっこいいと思ってたよ。

 

 

夜の廊下。右側奥の白いドアが僕の部屋、手前が弟の部屋のドア。

 

 

こちらが2階のイベントスペース。この奥に狭いキッチンスペースがあり、祖母の部屋もそこにあった。

とにかく狭い家に無理やりイベントスペースを作ったため、居住空間が大いに圧迫されていた。

左端で立っているのが母。

 

 

真剣にピアノを弾く21年前の僕。

 

 

表情に注目!右端は祖母。僕も祖母も笑っている。間違えた瞬間を撮られたものと思われる(; ̄O ̄)。

 

歌っているのが僕。そしてベース弾いているのが当時高校生だった弟。

 

 

というわけで、個人的な日記を長々と書いてしまった。最後まで読んでくださった皆さんありがとうございます。

ちょっと身軽になった立花を今後ともよろしくお願いします(^-^)。

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