2009年2月アーカイブ


こんにちはアン〈上〉 (新潮文庫)
バッジ ウィルソン
新潮社
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世界的に有名な、モンゴメリ作「赤毛のアン」は、孤児院を出たアンがグリーンゲイブルスに到着するところから物語が始まりますが、本作はモンゴメリから100年の後、現代の作家であるバッジ・ウィルソンが、それ以前のアンの幼少時代(生まれる前から孤児院を出るところまで)を描いた作品です。英語原題はずばり Before Green Gables。

つまり、「赤毛のアン」の中で折々ちりばめられたアンの幼少期の生い立ちや思い出話の断片を忠実に拾って、詳細に膨らませて一遍の小説にしてしまったのです。

「赤毛のアン」ではアンの思い出話から「みなしごで苦労の多かった子供」ということが知れるわけですが、この「こんにちはアン」ではその「苦労」の壮絶な中身が詳細に語られることとなります。

それはそれは壮絶でかわいそうで、ちょっと「おしん」みたい・・・。

でもその中で、後のアンが持っているすばらしい感受性や知性や希望がこうして育まれていたんだな、と納得できるものになっています。

バッジ・ウィルソンさんは、アンと同じくカナダ・ノヴァスコシア出身。その思い入れには特別なものがあったのでしょう。いかにも他人の後付けといった感じは全然なくて、モンゴメリの世界と違和感なく地続きになってしまうような、綿密かつ忠実な作話ぶりで、この後すぐに本家「アン」を読んでも違和感がありません。原作への敬意と愛情あふれる労作だと思います。

 

ちなみに今春、BSフジ「世界名作劇場」でアニメ化されます。

音楽は私ではありません。お話を頂いたのですがコンペで落ちました(爆)。

でもそれがきっかけで出会った本。おすすめですよ!

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ピアノとはとっても古いつきあいです。4歳だか5歳だかの頃、初めて家に来た茶色いアップライト。その後高校生の時に買ってもらったグランドピアノ。

しかし実はそれほどピアノが大好きだったことはなく、ピアノ科の学生さんのように1日中練習に明け暮れたこともありませんでした。

それでも一応ピアノの仕事をするようになったりしたので、その時のそれなりに努力はしていたつもりでしょうが、何というか,心の奥で本質的に感じていた違和感のようなもの・・・があったような気がします。

ピアノに対する苦手感、何か言いようのないもどかしいかんじ。それが何なのかはっきり自覚してはいなかったけれど、いつもピアノに向かうたびにがっかりするような感じがあって、自分の中ではそれを「私は下手なんだ、向いてないんだ」という結論にしていたような気がします。

じわじわと疼いていたそんな違和感がだんだんと自覚できるほど大きくなり、いよいよ「ピアノっていう楽器が嫌い。もう弾きたくない。だから弾くのやめる。」というところまで行ったのが数年前。

もともと「ホントに嫌だったらやめていいんじゃん?」という人生の道の選び方をしてきて、けっこうそれが間違っていないという実感があったので、この時もほんとに弾かないことにしちゃいました。

何日もピアノに触らなくてもぜーんぜん平気!だって元々ピアノなんて好きじゃないもーん!・・・なんて。


そんなある日ふと思った。


嫌いなのはピアノなのか、この楽器なのか?


つまりあの時から長年のつきあいだったウチのピアノ。考えてみれば時々「こういう音イヤなんだよね。なんとかなんないのかな〜」と感じていたことがあった。

でもそういう楽器なんだからそれ以上どうにもならない。というところで思考は止まっていて、そんなことより自分の努力の問題でしょ、と思っていた。

さらにもっと考えてみれば、仕事先の会場やスタジオのピアノを弾いたときは嬉しい時もあった・・・アレ?するってぇともしかして問題はこの楽器!?

不思議かもしれませんが、初めてそういう考え方に気がついたのです。

恥ずかしながら「楽器なんて多かれ少なかれどれも一緒でしょ。どんな楽器だって気にしないっすよ」ぐらいに思っていたのでした。

そこらへんが根っからのピアニストではないなあ、というところでもありながら、一面「どんな現場のどんなピアノでも受け入れて弾かざるを得ない」というピアニストの宿命を極めて忠実に受け入れていた、ある意味とてもピアニスト的であったとも言えるかもしれません。

しかし、気づいてしまいました。

「この楽器がイヤだったんだ!話が合わない。気持ちが通じない。どんなにがんばってもすれ違いばかり。愛せない。そもそも合う相手じゃなかったんだ。」ということに。


何事も現状を認めたところから、初めて変革が始まるものでございます。そうだったのか〜、というある意味「スッキリ感」とともに、「私だって、できるものならピアノと心を通わせてみたい。ピアノと仲直りしたい。」という気持ちがわいてきました。ここで初めて出てきた選択肢。


じゃ、ピアノ買い替えれば?


そうだ!買い替えればいいんじゃん!

無自覚に「1度買ったピアノは一生もん」みたいに思い込んでいたけど、実は買い替えってアリだった。考えてみれば絶対に無理な買い物ではない。

ただし、「ウチの楽器が合わないからピアノが嫌いになった。楽器を替えれば解決するはず。」というその仮説が正しかったかどうかは、新しい楽器が来てからわかること。だけど、ここで流れを変えたかった。賭けてみたいと思いました。

 

というわけで20余年のおつきあいを清算し、ピアノとの仲直りを願って去年買い替えたのがディアパソンというメーカーのピアノです。

あまり知られていませんが日本製で、その昔大橋さんというこだわりのピアノ設計者がこだわりのピアノを作りたくて興した会社ですが、そのこだわり故に経営に行き詰まり、大手メーカー・カワイの傘下となって、今はカワイの工場で作っています。

べつにヤマハやカワイがだめだというわけでは全然ないですが、ちょっとマイナーなとこが好きな私には何かが響きました。

 

私が買ったのはD164Rという小さいサイズのグランドピアノ。

決して高級なラインナップのものではありませんし、小ささゆえの限界ももちろんあるのですが、何より触った時に気持ちが通じる相手なのかどうかを確かめて選ぶようにしました。具体的に言えばタッチと音色、プラス見えない何か、サムシング。

 

そうして我が家に来た新しいピアノを弾くようになって、やっぱりこの選択は正しかったと思いました。

とにかく触って音を出すだけで気持ちがよいというのは何よりです。楽器と気持ちが通うというのはこんなに嬉しくスッキリするものなんだなあ、ということがよくわかりました。

なんだ、ピアノ、嫌いじゃなかったかも。


結局、普段触れているものが、少しずつ自分を作っていくのでしょう。

この気持ちでピアノに向かっていることが、これからどんな未来につながっていくのか。まだわからないけど、ゆっくりじっくり、自分の中で何かを育んでいきたいと思っています。

今月はまだまだ作らなければいけない曲がたくさん控えています。

先回書いたミュージカルの曲と別に、春のドラマの曲も目の前の課題なのです。

詳しいことはまたの機会にしますが、とにかく今作らなきゃなのは一言で言って「よっしゃぁーっ 笑って生きようぜ!」って感じのめちゃポジティブな曲。「生きる歓び」と言ってもいいでしょうかね。

どんなイメージなのかはすごく思い浮かぶ。

でも考えてみれば「笑って生きる」なんて生き方、私したことないしな〜。子供の頃は「笑わない子」とか言われてたくらいだし。

今だって笑うよりは考えてる方が多い。

「生きる歓び」なんかもそんなにリアリティないよな〜。

感じてます?「生きる歓び」。


こんな私にそんな曲ができるのだろうか?

という、途方もない感じ。いつもながら作曲前というのは果てしない大海原に小舟で出て行くような気分です。

でも、もう舟は出してしまいました。何が何でも大きなお魚を一本釣りしてこなければなりません。しかもなるだけ早く。

さあ、お魚はどこにいるのかな〜。


今年になってからミュージカルの曲を何曲も作っています。

毎年やっている劇団ステージドアのためのもの。

台本で指定の場所・指定の内容で歌詞と曲を作る。

毎年のことなのですが、今年は特に演出家の要求も色々と増え、また登場人物の状況もこみ入っているので、台本に書かれた言葉を超えていかに「それ以上」の内容と言葉をひねりだすか、に難儀しながらの道のりです。

今日も一時は「いったいこんなことが歌にできるのか!?」と投げたくなるような気分にもなりましたが、そんな中でごちゃごちゃやっているうちに、ある瞬間あるポイントを抜けたらパーっとできちゃいました。


できてみたら、ごめんなさい、できた時ぐらい言わせて下さい(笑)、すっげー曲。ドンズバリ「嗚呼、人生!!」ですよ。これはきます、きっと泣きます。

いや、舞い上がるのはほどほどにして。

それでもやはり、私がこれまで実感した事や人に学んだ事などをストレートに盛り込みながら、劇の深まりにも寄与できる気がして、自分では納得する1曲になりました。当初ブーブー言いながらだったのにね。

やっぱり苦労して汗かかないといかんのですかね。容易じゃないです。

さて、これを演出家や劇団の皆さんがどう受け取ってくださることでしょうか。きっとわかって下さる皆さんだ、と思いつつもちょっとドキドキです。

今日は読売日本交響楽団@池袋芸術劇場、行ってきました。

指揮は下野竜也さん、曲はドヴォルザークの3本立て。

この方の指揮は、わかりやすくて気持ちが良い。指揮に疎い私のような者にもその動作と出てくる音の関係が「なるほど〜」と納得感多々あり、安心できます。

もちろん、指揮、オケ、曲、等聴くべきポイントは色々とありますが、なんといっても今日の金星はトロンボーン。

たぶんオケの皆さんそれぞれに良くやってらしたのだと思うけれども、いろんな瞬間にハッとしたり、オッと思ったり、グっときたりしてしまったのがトロンボーン隊だったのです。

もともと私 は金管大好き。特にトロンボーンやホルンの、ピアノの時は神々しく優しく美しく、フォルテになったら野獣に変貌!のような、その音質の変わりぶりどちらも 捨て難く好きです。バストロンボーン含め中低音でブリブリハモるトロンボーン隊はほんとにカッコいいと思いますね。

今日のドヴォルザーク4番では、トロンボーンがその硬軟両方の側面でいい音を出していて、他を差し置いてつい見ちゃって。

もちろん元 々の演奏者の技量もあるでしょう。その上で今日には今日の諸々があったのでしょう。精神状態が特別良かったとか、楽器のコンディションだとか、気が合うメ ンバーだったとか、指揮者の気合いとか、あと良い演奏を引き出すようなドヴォルザークの譜面だったのかもしれないなー、などと色々考えながら。

きっと様々な要素が積み重なって現れた、そんな今日のトロンボーン、素敵でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

もとはコミックス、そしてこの1月からWOWOWでドラマ放送しています。今週第2回め。

番組サイト http://www.wowow.co.jp/drama/utada/

警察組織の中で、理不尽を感じながらも自分を押し殺して上司に従ってきた「優秀な」刑事・歌田マモル。

彼の前に、ある日「前世の自分」だと名乗る神崎という男が現れ、「お前は本当にそれでいいのか?」と問いつめてゆく。次第に自分の本当の気持ちに従って行動することを選んでゆく歌田。しかし神崎は、歌田を殺人者への道へ引きずりこもうと闇のささやきを繰り返す。葛藤する歌田の前に次々と凶悪な事件が待ち受ける・・・。

歌田をドランクドラゴンの塚地武雅さん、神崎をラーメンズの片桐仁さんがやっています。

どのキャストも、原作コミックスの人物によくイメージが合ってるな〜と思いますが、中でも極め付きは「非情な上司・樺島」役の西村雅彦さん。イヤらしく冷たくヤバい演技が、すっごくイヤだけど素敵。ベテランの重みが漂います。

原作は独特のクセのある絵のせいもあって、ドロドロした怖さがあるのですが、ドラマはところどころ設定やディテイルを変えていて、ちょっぴり洗練されている印象です。多くの人が関わると「こうしよう、ああしよう」と新たな視点が見えたり、新しいものが生まれてきたりするものかもしれません。

私は劇中の音楽作りで関わっています。そんな世界の一端をうまく担えていればなによりです。

エンディングの映像と電気グルーヴの曲もかっこいいですよ。


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先日知人よりお米を頂きました。「三人娘」というブランド米です。
「三人娘」とは、芸能界でそれぞれの時代にそう呼ばれた方々がいましたが、この場合通称「スパーク三人娘」であるところの、園まりさん、伊藤ゆかりさん、中尾ミエさんの、お三方のこと。
中越地震の復興のために、三人娘コンサートで募金を呼びかけ、それを基金として山古志村の農家の方々の新しいお米作りをお手伝いされたそうです。そうしてできたお米を「三人娘米」として発売しているのです。

「おいしい」とは聞いていましたが、食べてみたらホントにおいしい。
私は今まで、特にお米が好きとか「今日もコメがうまいなあ〜」みたいなことを思った事はなくて、どちらかというとお米にはそれほど興味のない方だったんですが、そういう意味では初めてお米をおいしいと思ったかも。
まあ、それもそのはず3kg ¥2,970というそれなりのお値段ではあるのですが。
ただ、ホームページを見てもわかりますが、何故そのお値段がつくのかっていう訳と経緯には、たいへん共感できるものがありました。

先ほども書いたように,このお米は「三人娘復興基金」によって生まれたものだそうですが、素敵だなと思ったのは、米農家の方々は「この機会を生かし、特別な手間ひまをかけても自分達の納得のいく本当に美味しいお米を作ろう」とされたこと。
そして三人娘の皆さんは、「名前を使ってお金を集めて送って終わり」というのではなく、本当に現地に足を運び、土地の方々とつながりを作り、毎年自ら田んぼに出て作業までされていること。
その双方の「気持ち」がなんだか温かく、清々しくて、それがお米の味にもこもっているような気がして、思わず応援したくなってしまったので、ここにご紹介しちゃいます。

そう言う私も、このお値段ですからそう気軽に手は出せないのですが、でも例えば普段使いのお米と両方キープしておいて、「今日は米だろお〜」みたいな"ここ一番"の時に三人娘米、という食べ方ならちょっとやってみたいな、という気がしてます。

ネット販売は自前のサイトのこちらのみ。Amazonや楽天では買えません。

http://sanninmusume.shop-pro.jp/


園まりさんのサイト
http://www.sonomari.com/


およそ2年前、引っ越しをしました。

引っ越したマンションは閑静な住宅地にあり、土地の形状も周囲が高くなっていたり壁に囲まれていたりで、奥まった感じのする立地でした。私の部屋はその1階のさらに一番奥で三方角部屋。

都心でありながら窓の外には木々の緑、鳥の鳴き声も聴こえてきて、ある意味ステキですが、なんせ1階。空がほとんど見えない。その「奥まり感」は、まさに隠れ家というにふさわしいような部屋でした。

その頃の私は気持ちの上でも、あれこれ動き回るより一旦静かに蓄積したいというモードにいたので、そのような家と自分の状況がはからずもリンクしていたかのようでした。人が環境を作るのか、環境が人を呼ぶものか・・・おそらくどちらもなんでしょう。

不思議なもので、それまでwebだのmixiだので気軽にものを書いたりしていたのが、次第に書きたい気分にならなくなってしまって。

隠れ家に住んでいたら自分までどんどん隠れている方が落ち着くようになってしまった感じで、ネットにおいてはずいぶん静かにしていたのが去年まででした。


さて、そんな家に2年近くいたのですが、だんだん気持ちも変わり状況も変わり、昨年の暮れにまた新たなところへ引っ越しました。

今度の家は打って変わって大通りに面した8階。窓からは真っ青な空が見えます。まさに奥の隠れ家から「明るい表通り、sunny side of the street」に出た感じです。

そうしたら、やっぱり環境と人はリンクするんでしょうか、いや、私が影響されやすいだけなのか、おそらくタイミングもあるのでしょう、なんとなくそろそろまたものを書いたりしようかなあ、なんていう気分になってきました。

そういうわけで、こんどはmixiでなくブログにして、こちらでゆるゆると始めることにします。


以前から自分の仕事も人生全体も、小舟で漁に出てるようなもんだなあ、という感じがしています。

明日になんの保証もない。風を感じ、星を見上げて、勘を働かせて、自分を信じて、天に任せて、選ぶ今日の海路。

魚の群れに出会えるでしょうか、どこかの島にたどり着くでしょうか。

そんなタイトルをつけてみました。


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