2009年7月アーカイブ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「変態ギタリスト」などとしばしば言われるスティーヴ・ヴァイ、2005年の作。

ジャンルは何かといわれると、いちおう世間ではハードロックとかヘヴィメタルと整理されるようですが、実際そんな枠ではおさまらない幅広さと自由奔放さと圧倒的なオリジナリティーを持っている人です。

バークリー音楽大学出身、高度な音楽知識と超絶ギターテクニックの持ち主ですが、そんなことを超えて、イマジネーションの表現のためにすべてはある、ということを体現しているかのようです。

一般的にハードロック/メタル系というと、ダークで攻撃的なエネルギーをゴリゴリ押しまくるような音楽も少なくありませんが、この人の音楽はそういう意味では全く逆に、基本的にすごくポジティブで光が溢れていて、宇宙へと広がっていくような大きさを感じます。

であるとともに、すごくやんちゃ、エネルギー過剰、複雑、変態。

受けつけない人は受けつけないであろう、独特な世界であることも確かかもしれません。


1990年の「Passion and Warfare」も名盤だと思いますが、それから15年の後の本作は、その過剰なエネルギーと変態ぶりは相変わらず,さらに大人の余裕と成熟を感じるできあがりで、私なんかは思わず「あのやんちゃな青年がすっかり大人のいい男になって・・・」という感慨を抱いてしまいます。

やっぱり音楽ってその人が生きてきた姿そのまんまが出るんじゃないだろうか。きっとこの人は良い家族に恵まれ、愛を知り、自分を見失わずに心豊かな人生を生きてこれたんだろうなー・・・と想像してしまえるのは何故だろう・・?


ドラマ「医龍」のテーマ曲に使われたというM1「Building the church」、レッドツェッペリンの「Kashmir」をトリビュートしているのかな?と思わせるM2「Dying for your love」、ファンキーなM5「Fire wall」。これらは比較的聴きやすくカッコよい曲。

それからM7「Lotus feet」は壮大な泣きのバラード。

ちなみにこの人のアルバムではいつも7曲目がバラードになっていて、90年の「Passion and Warfare」でも7曲目にすばらしいバラードが入っていましたが、ご本人にとって7曲目のバラードというのは特別な思いがこもっているのだそうです。

その7曲目ばかりを色んなアルバムから集めてまとめた「The 7th Song」というアルバムも出ていて、こちらも味わい深いです。


あまり語る人はいないけれど、10曲目のアコースティックギターによる優しさあふれる曲「I'm your secrets」はまさに、大人だねえ〜という1曲。 壮大な曲も良いのだけれど、こんなこぢんまりした曲にも名曲があります。

 

PASSION AND WARFARE
スティーヴ・ヴァイ
ソニーレコード (1990-05-31)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一人の武術家が、右も左もわからないカンボジアに単身渡り、危険とされる地域に根を下ろして、現地の若者達に武術を教え始める。そこで見たカンボジアという国と人の真実。そして裸一貫で現地の人に関わり、やがて熱い信頼を得て、地域の若者が,街が変わってゆく・・・。
その武術家・茂呂隆氏自身による、そのような道のりの衒いのないレポートです。

私は特にカンボジアに興味があったわけでも、海外支援などのNGO活動に興味があったわけでもなかったのですが、「茂呂隆」の名前にオッと思って手に取ってみたのです。

著者の茂呂隆氏は、錬気武颯拳(れんきむそうけん)という独自の武術を創始して武颯塾・代表師範を務めておられます。
実は10数年前、私はその独自の「脱力理論」に惹かれ、高田馬場にあるその道場に通っていたことがありました。普段の稽古は他の師範がされていましたが、数回、茂呂隆師範も指導に見えた事があったのです。比較的小柄ですが、キリリとしつつちょっと野性的なさばけた雰囲気を持った方でした。


あれからあの道場は、あの師範はどうなっているのだろうと、時々思うことがありました。そして、先日偶然にこの本を見つけたわけです。
単に道場を継続するに留まらず、さらに枠をはみだして色々な挑戦をされている・・・あの方が今どんな風に生きているのか、それを読んでみたくなりました。

カンボジア語はもちろん英語もままならず、大きな組織の後ろ盾もないまま単身飛び込んだカンボジアで、わずかなご縁をつないで有力な現地の支援者を得て、道場開設にまで至る。

そして本書に詳しく書いてありますが、カンボジアの人達の「文化の違い」を超えた人間としての貧しさ・闇に直面して、しかし諦めることなく体当たりで一つ一つ変えていく。


その向かい合い方がいかにも武術家らしい、厳しさと優しさを兼ね備えた硬派な対応で、時にはあえて荒っぽいことをしてでも筋を通していくことで、結果として皆からの信頼を得ていくところなどが、私にとってみれば「はあ〜 そういう道筋もあるのか」と目からウロコが落ちる思いがしました。

何の遊びもせず、日々修練をし、若者に武術指導する著者のことを、やがて人々は「MOROはサムライだ」と言うようになります。
著者自身、武士に憧れ、「武士道」という生き方を信条としたいと願ってはいたものの、到底それには及ばない自分に身震いする思い、だといいます。しかしある時、「サムライ」と思われるのだったら、「そうだ。サムライになってしまおう」と心のスイッチが変わったのだそうです。つまり、「サムライならこうする」という生き方を、どこまでも実際にやろうとしてみるということ。


本文引用


「日本人として恥ずかしくなく生きよう。恥さらしなことだけはやめよう」そう誓いました。その姿勢を貫くことが武士道を伝えることであり、この姿勢を見せることが、今、必要な教育なのだと感じたのです。そしてその瞬間から、何かことあるごとに身が引き締まるようになりました。
何も難しく考えることはない。自分自身が自分の理想に近づくために努力し続けることが、私にとってのカンボジアにおけるNGO活動であり、それが武士道の体現になるのだとも思いました。


私自身は、武士道そのものについては詳しくわかりませんが、著者の武士道へ憧れる思いと、努力してそれを生きようとする真摯な姿勢には共感するものがあります。そして、そうやって自らが生きる姿勢を見せれば必ず伝わる人がいるということも。

もう一つ印象に残った言葉。
修練生が「毎日一人で練習してつまらなくないのか」と聞いてきた時の答え。

「練習はサムライの仕事の一つだ。それに練習は面白いとか面白くないとかは関係ない。自分に必要だからするんだよ」

おぉ〜、かっこいいなあ〜。

本書では、そのような数々の体験的エピソードが次々と語られる訳ですが、決してそれが「すごく、かっこよく」書かれている訳でなく、戸惑いも驚きも喜びも正直に、そして自分の未熟も隠さず、だからこそさらなる精進を誓う潔さと、腹を割って人に愛情を注ぎ感謝する清々しさに貫かれていて、読後爽やかです。

そして、そこがかっこいいところ。本当のかっこよさって、こうじゃないかなー、なんて思いました。

あの時の師範が、さらに自分を広げてこんな人生を歩んでいた・・・そして、この方ならではのその個性の輝き方に、ある感慨を受けました。
カンボジアや海外支援に興味はなくとも、武士道やサムライに興味はなくとも、読み始めれば引き込まれ、大切なことを教えられる本だと思います。

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