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遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

2010年最初のエントリーは、ブックレビューにします。

ワクワクするような新しい年になりますように。

 

ソース(SOURSE)あなたの人生の源はワクワクすることにある

マイク・マクマナス著



 

 

 

 

 

 

「自分の個性を生かした生き方をしたい」

「今の仕事が、どこか自分とはズレているような気がする」

「自分の天職とはなにか、ずっと考えてきた」

「家庭の中だけで一生を終わりたくない」

「勤め人を辞めて、いつか独立したいと思っている」

「なんのために学校に行くのか、わからない」・・・・・本文より抜粋


このようなことを、はっきり意識し始めて現在岐路にある人にも、

時々漠然と「自分これでいいのかな〜」と感じる人にも、

あるいは、これまで自分の人生に全く疑問を持たなかった人にも・・・

衝撃的な揺さぶりと、パワフルな希望を与えてくれる本ではないかと思います。

この本のキーワードは「ワクワク」。

著者は「誤った社会通念から自由になって、自分が持って生まれたワクワクに従って生きて、喜びにあふれ充実した人生を生きよう」と呼びかけ、そのための具体的な示唆を挙げています。


「そりゃー言うのは簡単だけどさ、現実ってのは甘くないでしょ。」

と、多くの人は言うでしょう。

「そんなこと言ったってぇ〜」と引いてしまう人もいるかもしれません。

この本のユニークな部分は、まさにその多くの人が言うであろうそのような「当たり前」の常識を、「誰もが信じているウソ」として看破していく章にあります。

「責任とは家族や会社や社会が期待することをすることだ」

という通念をひっくり返し、

「人が取るべき責任ある行動はただひとつ。自分が心からしたいことをすることである。それが人生でもっとも責任ある行動であり、その人が負う最高の責任である。」

と述べる。

その他、

「現実的になれというウソ」

「妥協のウソ」

「上手のウソ」

「ヤル気のウソ」とか、


「決断は先延ばしにしていい」

「優先順位はつけるな」

「適性があるからと言ってそれをする必要もなければ好きになる必要もない」


など、頭を逆さまにさせられるような論の数々に、目からウロコが落ちるようです。

読み進むほどに、頭がリラックスして自由になり、ワクワクのエネルギーが湧いてきます。

 

今、そしてこれからの時代、「本当に自分のしたいことは何?」と問い直し、追求し、そのために人生をシフトしていく人達がますます増えていくことでしょう。

この本は1999年に書かれたものですが、そういう意味では、今だからこそ心に響く人も多いかもしれません。10年以上前にこういうことを言っていたこの人はスゴイんじゃないかと思いました。

 

「心からワクワクすることを全部やる」というこの本に触発されて、私も今年は今までやってこなかったことを色々やってみたいと思っています。

 

ガラクタ捨てれば自分が見える 〜風水整理術入門〜 

カレン・キングストン・著  小学館文庫


著者のカレン・キングストンさんは、英国生まれ、現在バリ島在住。

西洋社会における風水研究のパイオニアだそうです。

風水というと、「なんか、ウサンくさい」と思われる方もいるでしょうが、この本は「どこそこに何を置くと金運アップ!」とか(笑)そういうことではなく、家の中を整理整頓することがいかに自分の精神にも健康にもよいのかという、しごく真っ当なことを言っている本だと思います。

であるとともに、掃除や片付けが苦手な人にとってはちょっと耳の痛い、でもそれだけに挑戦する勇気と希望を与えてくれるでしょう。


・ガラクタとは何のことをいうか

・家の中が汚かったりガラクタであふれていたりすると、精神的にも肉体的にもどういう悪影響があるのか

・人はなぜガラクタを溜めるのか/なぜ捨てられないのか

・ガラクタを片付けるとどういう良いことがあるのか


・・・など興味深いトピックが、それぞれ人間心理の深いところをよく突いていておもしろいです。ガラクタを溜め込む精神構造が、肉体の肥満という現実にもつながっているというところも、なかなか説得力があります。

つまり「家はそこに住む人の精神状態がそのまま表れているもの」である、ということは逆も然りで、家の中の状態を変えれば精神状態も変わる、ということでもあり、後半ではそれらが「人生をより良く生きる」というところにつながっていきます。

 

それで私の場合、基本的に掃除マニアなので、自慢ですけど我が家はいっつもキレイです!

溜め込み癖よりは捨て魔なので、この本を読んでさらに片付け魂に火がつきました!

特にこの本に書いてあるガラクタの定義で

・もう使わないもの

・気に入らなかった貰いもの

・好きではないもの

・修理せずに放ったらかしているもの

が自分のエネルギーレベルを落としている、というのはすごく納得しました。


そういえば、好きでもないのに何だかとっておかなきゃならないという義務感でしまってある物って、けっこうあった。

好きではない物とか、あまり良い思い出がない物とかは、それを目にすることで意識的にも無意識的にも、自分にネガティブな影響を与えている、と言われるとそうかもしれないと思う。

なんとなくそうは感じていたけど、そう言われて、そしてそういうものは思い切って捨てちゃいましょう!と言われると、「そうかあ!捨ててもよかったんだ!」ってエンジンかかって、洋服、アクセサリー、バッグ、食器、機材、家電、家具、本、書類 etc・・・使わない物と捨てたい過去は全部処分!


もちろん、ただ捨てるだけじゃなく、出せる物はヤフオク、時には質屋(笑)へ。

特に機材関係はひっぱり出してくるとけっこうあって、それなりの値段で皆さん買って下さるので、ありがたい限りです。

家もスッキリ、気持ちもスッキリしてお金も入ってくるんだからこんなにいいことはありません。

ガラクタ捨てようキャンペーン、皆様におすすめです。


ガラクタ捨てれば自分が見える

 

 

 

 

 

一人の武術家が、右も左もわからないカンボジアに単身渡り、危険とされる地域に根を下ろして、現地の若者達に武術を教え始める。そこで見たカンボジアという国と人の真実。そして裸一貫で現地の人に関わり、やがて熱い信頼を得て、地域の若者が,街が変わってゆく・・・。
その武術家・茂呂隆氏自身による、そのような道のりの衒いのないレポートです。

私は特にカンボジアに興味があったわけでも、海外支援などのNGO活動に興味があったわけでもなかったのですが、「茂呂隆」の名前にオッと思って手に取ってみたのです。

著者の茂呂隆氏は、錬気武颯拳(れんきむそうけん)という独自の武術を創始して武颯塾・代表師範を務めておられます。
実は10数年前、私はその独自の「脱力理論」に惹かれ、高田馬場にあるその道場に通っていたことがありました。普段の稽古は他の師範がされていましたが、数回、茂呂隆師範も指導に見えた事があったのです。比較的小柄ですが、キリリとしつつちょっと野性的なさばけた雰囲気を持った方でした。


あれからあの道場は、あの師範はどうなっているのだろうと、時々思うことがありました。そして、先日偶然にこの本を見つけたわけです。
単に道場を継続するに留まらず、さらに枠をはみだして色々な挑戦をされている・・・あの方が今どんな風に生きているのか、それを読んでみたくなりました。

カンボジア語はもちろん英語もままならず、大きな組織の後ろ盾もないまま単身飛び込んだカンボジアで、わずかなご縁をつないで有力な現地の支援者を得て、道場開設にまで至る。

そして本書に詳しく書いてありますが、カンボジアの人達の「文化の違い」を超えた人間としての貧しさ・闇に直面して、しかし諦めることなく体当たりで一つ一つ変えていく。


その向かい合い方がいかにも武術家らしい、厳しさと優しさを兼ね備えた硬派な対応で、時にはあえて荒っぽいことをしてでも筋を通していくことで、結果として皆からの信頼を得ていくところなどが、私にとってみれば「はあ〜 そういう道筋もあるのか」と目からウロコが落ちる思いがしました。

何の遊びもせず、日々修練をし、若者に武術指導する著者のことを、やがて人々は「MOROはサムライだ」と言うようになります。
著者自身、武士に憧れ、「武士道」という生き方を信条としたいと願ってはいたものの、到底それには及ばない自分に身震いする思い、だといいます。しかしある時、「サムライ」と思われるのだったら、「そうだ。サムライになってしまおう」と心のスイッチが変わったのだそうです。つまり、「サムライならこうする」という生き方を、どこまでも実際にやろうとしてみるということ。


本文引用


「日本人として恥ずかしくなく生きよう。恥さらしなことだけはやめよう」そう誓いました。その姿勢を貫くことが武士道を伝えることであり、この姿勢を見せることが、今、必要な教育なのだと感じたのです。そしてその瞬間から、何かことあるごとに身が引き締まるようになりました。
何も難しく考えることはない。自分自身が自分の理想に近づくために努力し続けることが、私にとってのカンボジアにおけるNGO活動であり、それが武士道の体現になるのだとも思いました。


私自身は、武士道そのものについては詳しくわかりませんが、著者の武士道へ憧れる思いと、努力してそれを生きようとする真摯な姿勢には共感するものがあります。そして、そうやって自らが生きる姿勢を見せれば必ず伝わる人がいるということも。

もう一つ印象に残った言葉。
修練生が「毎日一人で練習してつまらなくないのか」と聞いてきた時の答え。

「練習はサムライの仕事の一つだ。それに練習は面白いとか面白くないとかは関係ない。自分に必要だからするんだよ」

おぉ〜、かっこいいなあ〜。

本書では、そのような数々の体験的エピソードが次々と語られる訳ですが、決してそれが「すごく、かっこよく」書かれている訳でなく、戸惑いも驚きも喜びも正直に、そして自分の未熟も隠さず、だからこそさらなる精進を誓う潔さと、腹を割って人に愛情を注ぎ感謝する清々しさに貫かれていて、読後爽やかです。

そして、そこがかっこいいところ。本当のかっこよさって、こうじゃないかなー、なんて思いました。

あの時の師範が、さらに自分を広げてこんな人生を歩んでいた・・・そして、この方ならではのその個性の輝き方に、ある感慨を受けました。
カンボジアや海外支援に興味はなくとも、武士道やサムライに興味はなくとも、読み始めれば引き込まれ、大切なことを教えられる本だと思います。

インドを舞台にしたアカデミー賞受賞の映画(公式サイト)。
ずっと見たいと思いつつ、先行してサントラをだけを聴きこんでいましたが、今日やっと見に行くことができました。


すでに色々なところで語られてると思うので多くは語りませんが、私は良かったと思います。
とにかく色々な面でイキがいい。映像、音楽、構成感と流れ、テンポ感、出演者・・・まるで、良質で新鮮な食材をバチッと勢いの良い気合いで料理したような鮮やかさ・・・というのが全体の印象。

ある意味、インドという土地ゆえの厳しさや痛ましさ、影の部分の苦さもあるのですが、それが過剰にならず、結局はポジティブで誠実な筋が一本通っているところが、後味の良いところ。

ハラハラドキドキ、ワクワクの持って行き方も秀逸で、ちゃんとエンターテインメントになっているところが、結局はいい。

そこが気に入らないという人もいるでしょうが、私はやっぱりそういう「王道」が好きだなあ。

スラムで野良犬のように生きる兄弟。悪ガキ時代からやがて成長して〜という時間軸。ヤクザ・裏社会。生きるための殺伐とした闘い。運命に翻弄される女性。やがて変貌していく街・・・・
ああ、なんかこの感じ覚えがあるなあ〜と思ったら、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」、それから「鉄コン筋クリート」もそんな世界だった。
あれもそれぞれに良かったけれど、でも本作は、なんといっても「愛」がある。

終止貫かれるそのピュアな軸に救われる私でした。


スラムドッグ$ミリオネア
サントラ A・R・ラフマーン feat.マドゥミーター A・R・ラフマーン feat.ブラーズ&タンヴィー・シャー A・R・ラフマーン feat.スザンヌ A・R・ラフマーン feat.スクヴィンダル・シン、タンヴィー・シャー&マハーラクシュミー・アイヤル&ヴィジャイ・プラカーシュ M.I.A.&A・R・ラフマーン M.I.A. A・R・ラフマーン feat.アルカー・ヤーグニク&イラー・アルン A・R・ラフマーン feat.パラッカル・シュリーラーム&マドゥミーター ソーヌー・ニガム
ユニバーサル インターナショナル (2009-04-01)

 

 

 

 

 

 

 

 

初歩のピアノ教則本です。

とにかく最初から「手首の使い方・重力のかけ方・抜き方」に徹底して焦点しています。書いてある譜面はそれこそ「ド、ド、ド・・・・」とか「ド・レ・ミ・・・」とかシンプル極まりなく、いかにも初心者の入門用ですが、実はこれが、通常何年弾き続けてもわかるか・わからないかぐらいの「ピアノの極意」を最初からあっさり身につけてしまえるスゴイ本!だと思います。

「ピアノを弾く上で一番重要なポイントは手首の柔軟性」ということをズバリ説明しながら徹底して体得させてくれるプログラム構成。

最近の世間のピアノレッスン事情はあまり知らないのですが、少なくとも私は数十年来このようなことを教わったことは一度もありませんでした。

もちろん伝統的なピアノ教本にも「手首の柔軟性」などの言葉は書いてあったり、先生にも「もっと力を抜いて!」などと言われたりします。しかし、じゃあどうやったら手首が柔軟になるのか、力を抜いてって言われたってそれどうやんの!? ってとこはわからずじまい。


「まあやっていればそのうちに」みたいなところにとりあえず片付けて、次の曲へ次の曲へと進んでしまって、いつのまにか楽譜は中級者編・上級者編までいっていたりして。
でも結局それがわかって(できて)いないから、いつまでも手はガチガチ。だから指が動かない、音が揃わない、速く回らない、何度練習しても弾けない、そこを頑張って弾くから手が痛い・・・結局思うように弾けないからつまらなくなってやめてしまう、とか。ひどいケースではあげくの果てに腱鞘炎、とか。

そんなところに陥ってしまった人が何人いるでしょうか・・・。少なくとも私はそれで数十年の歳月を過ごしてしまった一人です。

そんな私ですがピアノを教えるという立場にはなってしまい、生徒のためにと教本を探していたところ出会ったのがこの本で、生徒より先に自分がやってみたら目からウロコが落ちるようでしたよ。


今まで暗黙の内に語られなかった色々な種類の「手首の働き」が具体的に言葉で説明され、それを身につけるための具体的な練習が書いてある。これを正しくやれば絶対に手首は柔軟になるようにできてます。

そうやって手首が使えてくると、音色が変わってくる、指が動くようになる、、強弱やフレージングの表現も自在になる、手が楽になって弾くのが楽しくなる・・・良いことづくめです。
つくづく、これを最初から教えてもらえれば、どんなに上手くなっていただろうか・・・と残念な思いも湧いてきますが、まあこれも巡り合わせ。

もちろん私の生徒さんにもこの本に取り組んでもらいました。
その結果、全くの初心者だったある青年は、最初から手首が柔軟に使えるようになっているものだから、半年後には初心者と思えないような美しい音色で情感たっぷりに「Yesterday Once More」(もちろん両手)を弾いていました。

また、昔ツェルニー100番まで習ったけど、手が動かなくて挫折したという主婦の方は、この本をゆっくり1年くらいやっているうちに、だんだん手が楽に動くようになって、以前挫折したツェルニー100番をもう一度楽しく勉強されています。

そんな効能あらたかなこの教則本。初心者の方にも、今一度取り組み直したい中級者にもにもお勧めです。

ただ、説明が書いてあるとは言え、やはり体を使うことですから、独学だと意味がわからなかったり、自分が正しい形になっているかどうかわからず、どうしても自己流になってしまったりする危険もあります。少しでも実際に先生に見てもらう機会を持てるようなら、なによりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

著者の高木氏は、合唱団指揮者〜オーケストラ指揮者を経験した後、NPO法人「ネットワーク地球村」を立ち上げて、現在はその活動に邁進しておられる方とのことです。

タイトルだけ見ると、音楽の専門家向けの本のようですが、全然違いました!


指揮者が指揮台に立った時、そもそもまず楽団員が楽器を構えるか、音楽が始まるのか、そこが第一の関門・・・・なのだとか。

ええっ!?それってどういうこと!?

・・・そんな話から始まります。

つまりそれは「指示や命令、依願で人は動かない」という話であり、そこから、オーケストラ指揮のエピソードを通じて、音楽の現場を超えて全ての人にとって関わりのある、人間関係やマネジメント、生き方のスタンス、本当の幸せとは何か・・・まで語られてゆくのです。


しかし、最初から著者がそのようなことをわかっていたわけではありません。そこに至るにあたり、壮絶な「転機」があったことが後半語られます。

「勝つための指揮者」としてなりふり構わぬ必死な頑張りをしていた頃、交通事故で瀕死の重傷を負い、半年間身動きもできず寝たきりになるという試練がやってきたのです。

指揮やピアノ復帰などありえない、せめて車椅子に乗れるようになったらラッキー、というほどのダメージを受けて、ベッドの上で来る日も来る日も自問自答の日々を送ります。

その中で、これまでの生き方の根本的な誤りに気づき、人生の本当の意味と自分の使命を知る・・・。それは180度転換というには余りある、もうこれは「悟り」なんじゃないかと私は思いました。

事故という最悪の試練を、ここまで人生の大転換の機会とすることができた著者の人間力・精神力に、思わず唸ってしまいます。


その大きな気づきを得てから後、順調な回復ぶりを示し、とうとう指揮者として復帰できるまでになりました。

それからは、自分の内からあふれるエネルギーに突き動かされるように、音楽という枠を超えて、もっとグローバルな活動に邁進されるようになったとのこと。

本書後半は、そんな著者が体で知った、世界と人間の様々な「法則」が書かれています。

 

音楽関係者にとっては、「音楽って本当は何だったのか?自分達は何をやってきたのか?」を問い直す機会になるでしょうし、それほど音楽に縁のない方にとっても日頃の自分を振り返り、また改善へと向かってゆける示唆に富んでいる本だと思います。

 

それにしても言い方は悪いけど「いっぺん死んだ人」はすごい!!

私の友人にもそのような人がいます。やっぱり生き方も性格もガラッと変わってます。そして強いです。幸せそうです。

逆に言えば、死の淵まで行かないとなかなかわからない、ってこと・・・。それほど私達は日頃色んなものに翻弄されて、曇った目で右往左往しているのだろうなあ。


こんにちはアン〈上〉 (新潮文庫)
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世界的に有名な、モンゴメリ作「赤毛のアン」は、孤児院を出たアンがグリーンゲイブルスに到着するところから物語が始まりますが、本作はモンゴメリから100年の後、現代の作家であるバッジ・ウィルソンが、それ以前のアンの幼少時代(生まれる前から孤児院を出るところまで)を描いた作品です。英語原題はずばり Before Green Gables。

つまり、「赤毛のアン」の中で折々ちりばめられたアンの幼少期の生い立ちや思い出話の断片を忠実に拾って、詳細に膨らませて一遍の小説にしてしまったのです。

「赤毛のアン」ではアンの思い出話から「みなしごで苦労の多かった子供」ということが知れるわけですが、この「こんにちはアン」ではその「苦労」の壮絶な中身が詳細に語られることとなります。

それはそれは壮絶でかわいそうで、ちょっと「おしん」みたい・・・。

でもその中で、後のアンが持っているすばらしい感受性や知性や希望がこうして育まれていたんだな、と納得できるものになっています。

バッジ・ウィルソンさんは、アンと同じくカナダ・ノヴァスコシア出身。その思い入れには特別なものがあったのでしょう。いかにも他人の後付けといった感じは全然なくて、モンゴメリの世界と違和感なく地続きになってしまうような、綿密かつ忠実な作話ぶりで、この後すぐに本家「アン」を読んでも違和感がありません。原作への敬意と愛情あふれる労作だと思います。

 

ちなみに今春、BSフジ「世界名作劇場」でアニメ化されます。

音楽は私ではありません。お話を頂いたのですがコンペで落ちました(爆)。

でもそれがきっかけで出会った本。おすすめですよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

もとはコミックス、そしてこの1月からWOWOWでドラマ放送しています。今週第2回め。

番組サイト http://www.wowow.co.jp/drama/utada/

警察組織の中で、理不尽を感じながらも自分を押し殺して上司に従ってきた「優秀な」刑事・歌田マモル。

彼の前に、ある日「前世の自分」だと名乗る神崎という男が現れ、「お前は本当にそれでいいのか?」と問いつめてゆく。次第に自分の本当の気持ちに従って行動することを選んでゆく歌田。しかし神崎は、歌田を殺人者への道へ引きずりこもうと闇のささやきを繰り返す。葛藤する歌田の前に次々と凶悪な事件が待ち受ける・・・。

歌田をドランクドラゴンの塚地武雅さん、神崎をラーメンズの片桐仁さんがやっています。

どのキャストも、原作コミックスの人物によくイメージが合ってるな〜と思いますが、中でも極め付きは「非情な上司・樺島」役の西村雅彦さん。イヤらしく冷たくヤバい演技が、すっごくイヤだけど素敵。ベテランの重みが漂います。

原作は独特のクセのある絵のせいもあって、ドロドロした怖さがあるのですが、ドラマはところどころ設定やディテイルを変えていて、ちょっぴり洗練されている印象です。多くの人が関わると「こうしよう、ああしよう」と新たな視点が見えたり、新しいものが生まれてきたりするものかもしれません。

私は劇中の音楽作りで関わっています。そんな世界の一端をうまく担えていればなによりです。

エンディングの映像と電気グルーヴの曲もかっこいいですよ。


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