あなたの温もり 思うこと  不明編




1996年11月10日(日)

Overture "1812" / Berlin Philharmonic Orchestra / Tchaikovsky / Karajan



海辺の町は快晴だったが、この街はやはり厚い雲に覆われていた。


常に低周波の振動を与えられている実験動物の慟哭のように、腹いっぱいにコンクリを詰め込んだ人間達が疲れた顔で行き来している。


今こうして書きながら、あの海辺の町の情景にニナの笑顔が重複して、少し呼吸が楽になったような気がする。





Overture "1812" / Berlin Philharmonic Orchestra / Tchaikovsky / Karajan (cont)



ミドリさんとイアンは11月だというのに泳ぐと言って、さっさとウェットに着替えた。


イアンはベジタリアンだが、さすが欧米人の筋肉は、日本人のそれとは全く異質のものであり、またイギリス陸軍で長期にわたり対IRA特殊部隊で活動していたという戦歴もあってだと思うが、盛り上がった筋肉のあちこちに傷跡が痛々しく残っていた。


イギリス訛りのイアンの英語が耳に心地よい。大学時代僕の主任教授がイギリス人だったためか、今でも僕はアメリカ人よりもイギリス人の英語の方が聞き取りやすい。


舗装道路が途切れると、鬱蒼とした林が僕達を待っていた。広葉樹の落葉が創りだした見事な黒土が、僕達が歩くたびにサクサクという音と共に、クッションのように地面が沈み込み、僕達の体重を柔らかに支えてくれる。


蒼い蒼い空が重なり合う広葉樹の葉脈を透かし出し、さらさらと音を立てるように僕達の角膜をやわらかな日光が刺激する。


昨夜までの雨と落葉が化学反応して、豪奢な香味が林全体に満ち溢れ、僕達の呼吸を助けているような気がした。


木々に遮られていた視界が突然開けると、急に波の音と潮の香りが強い潮風に乗って僕達を森林の空気から解放し、目前には切り立つ崖と、空よりも遥に遥に碧の強い、藍色に近い海と、岩場に強く打ち寄せる波頭の泡の白さがあった。


Bolero / The Philadelphia Orchestra / Ravel / Fugene Ormandy





断崖にへばりつくように石段を延々と降りていく。


波の音がだんだん近づいてくる。


森の香は遠ざかり、入れ替わるように潮の香が迫ってくる。


外海の激しい波が、入り組んだ岩場の小さな入り江に一気になだれ込み、波頭がはじけて、真っ白な泡になり、岩を覆いつくすと再び透明の水に戻り、するすると海に戻っていく。


波が届かない場所を選んで、僕達はてんでバラバラに腰を降ろした。イアンとミドリさんはもう泳ぐ準備を始めている。


釣り人達が好奇の眼で僕達を見ている。シゲオさんと僕とヒデは早速ビールを開けて乾杯している。


タバコに火を付けて、ふと気付くと、イアンが釣り糸の只中をプカプカと浮かんでいる。ウェットのせいで、放っておいても浮かんでしまう。ミドリさんはまだ波打ち際でパチャパチャやっている。


イアンが戻ってきて、暑い暑いと言って、上着を脱いで再び入っていった。今度は本気で泳いでいる。紺碧の海にイアンの金髪と緑色のウェットが映える。筋肉が正確に機能していることを楽しむかのように、着実に泳ぐ。シゲオさんが、イアンはイルカみたいだと言った。僕も丁度そう思ったところだった。


タバコをくわえたまま、真っ直ぐに海を見ていた。紺碧という色に、群青という色が溶け込んでいくような感じがして、遥か向こうに見える島が、碧い風景に浮かび上がるようで、しばらくじっと見ていた。



Stand / Psychedelix



潮と森の香りを積み込んで列車は僕を一気にこの街まで連れてきてしまった。


通勤電車に乗り換えて、僕は街の入り口の店に滑り込み、ジンを二杯、一気に飲んだ。


ニナがくるまで本を読んでいようと思ったが、全然集中できない。


忙しそうに動き回るバーテンの動きを追い、つい数年前までは、自分もああやってシェーカーを振っていたんだと思うと、隔世感に襲われて、もう少しゆっくり飲もうともう一杯ジンを追加し、少しの間眼を閉じていた。


人々の吐き出す二酸化炭素の量と、その中に含まれる分解されないアルコールを多量に含む臭気が僕が持ち帰った森と潮の香りを全て打ち消してしまうような気がしてイライラしたが、三杯目のジンが、緊張した神経を少しずつ鎮めてくれたようで、意味もなくほっとしたような気分になったとき、ニナから電話がきた。


Romain / Bill Evans and Jim Hall



布団に潜り込み、ジンを飲みながら旅の話しをしたりしているうちに、急激に睡魔に襲われて失神するように眠った。


覚醒したり再び眠ったり、繰り返す間にずいぶん長い時間が経っていた。覚醒と睡眠の繰り返しで今日一日が終わってしまった。


今こうして書いていて、ようやく大脳が覚醒してきたような気がする。


さっきニナから電話で、ジンがもう全然ないと怒られた(笑)。昨日飲み過ぎたか。今度は買って持っていこう。おみやげに。


海と森とニナの香りを、何とかこの部屋にまで持って帰ってこれたような気がする。


もうすぐ冬がくる。








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