13年連用 思うこと(独酔亭日乗)


11月2日 

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2008年11月2日(日) くもり 時々 晴れ

【心機一転8.3キロ/巣鴨〜千駄木〜日暮里〜三河島〜上野】

7時過ぎ起床。それにしても良く寝るなあ。昨夜は9時過ぎぐらいに寝てしまったので、何と10時間睡眠。昨日も9時間ぐらい寝ているので、充電満タンという感じ。

で、休養は十分のはずなので、ウォーミングアップと筋トレをこなしてからジョギングに出る。10月はたったの4日しか走れなかった。これは幾ら何でもさぼり過ぎ。心を入れ替え心機一転。せっせと毎日走りましょう。

というわけで神宮外苑の外周道路を2周する8.3キロコースを63分。戻ってきて体重を計ると92.0キロ。あと0.4キロで2004年来の最低水準になる。そこから先は2000年の87.6キロが次のハードルなのだが、その前に90キロを切ることが大事になってくるね。頑張ろう。

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昼前からニナと外出。気候もすっかり良くなってきたので、久し振りに下町散策でもということでお散歩。電車を乗り継いで巣鴨に出てうろうろ。1キロほど歩くと「ときわ食堂」があったので入って昼食兼飲みスタート。ビールのあと緑茶ハイを一杯。この手の食堂は我が家の近くにも欲しいなあ。

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食事を終えて店を出て、ぶらぶらと千駄木を経由して日暮里へ。日暮里周辺でのんびりしようと思っていたのだが、再開発されたせいかあまり良さそうな場所がなく、仕方なくそのまま三河島へ出る。北島康介の実家などを眺めてから西日暮里に戻り、さすがに疲れたということで電車で上野に出る。

上野でアメ横に出て、大統領なる店でホッピー。日も暮れてきて良い感じ。

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日暮れ時のアメ横をぶらぶらして買い物したりしてから帰宅。たっぷり飲んで帰ってきてもまだ19時。

日本シリーズをテレビで見つつ、湯船にお湯を張ってのんびり浸かる。極楽極楽。

ラミレスのさよならホームランでジャイアンツが勝ったのを見届けてから眠る。10時前には寝てしまったのかな。

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今日の体重:93.2キロ(07年1月1日スタート時: 99.8キロ、10月末の目標: 92.8キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:2日(走れた日の日数)/9日(トータルの日数) 出走率:.222('05の通算.477、'06の通算.279、'07の通算.548、'08の通算.326)




↑これは空メイルボタンです。
押すと僕宛にあなたのアドレスだけが記されたメイルが届き、あなたが読みにきてくれたことが僕に分かります。

2007年11月2日(金) くもり

【5キロ/静かな金曜日】

5時過ぎ起床。ちょっとリズムが出てきたかな。気分良く着替えてジョギング。そろそろTシャツ短パンでは寒い。今日も5キロを36分で走る。前半調子が良くて飛ばしたら途中でばてた。無理はダメですな。

帰宅して体重を測ると96.2キロと、昨日より0.6キロ減っている。朝食をりんごにしたのが効いたのかな。もうちょっと続けてみよう。

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仕事で午後遅めの時間に荻窪へ。5時には陽が暮れて真っ暗に。寒いなあ。

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夜はニナが飲み会のため一人で帰宅。今朝体重が減っていたのに気分を良くしてサバの味噌煮などカロリー低めの弁当を買ってきて食べる。以前ニナに教えてもらったダイエットSNSを眺めたり。

普段何気なく食べている食品のカロリーって意外と高いものも低いものもあるんだなあ。フードマガジンで売っている肉団子が600キロカロリー弱もあるとは思わなかったよ。あれだけじゃ絶対おなかいっぱいにならないもんね。すごい高カロリーなんだな。

日本シリーズも終わって特に見るテレビもないので、一人でちびちびとスコッチをソーダ割りで飲みつつ音楽を聴いて夜が更ける。

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今日の体重:96.2キロ(07年1月1日スタート時: 99.8キロ、11月末の目標: 93.8キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:5日(走れた日の日数)/9日(トータルの日数) 出走率:.556(一昨々年の通算.477、一昨年の通算.279、去年の通算.548)


2006年11月2日(木) 晴れ のち くもり

【何とか追いつく/焼肉】

今日も少し早出してキャッチアップを続ける。午後になって何とか仕事に追いついた。やれやれ。

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ニナは風邪気味とのことで早退していて、僕が仕事を終えて一旦家に戻ってから一番館で焼肉。何となく久し振りのような気がする。

ビールの後は赤ワインをグラスで二杯ほど。昔ほどは飲まなくなってきたね。

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今日の体重:99.4キロ(05年1月1日スタート時: 99.8キロ、11月末の目標: 97.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:1日(走れた日の日数)/8日(トータルの日数) 出走率:.125(一昨年の通算.477、去年の通算.279)


2005年11月2日(水) 晴れ

【大阪〜名古屋〜お台場〜送別会/バッグ紛失】

6時に目覚ましで起床。少し眠かったがいそいそと起き出して大浴場へ。ガラガラの露天風呂に浸かり元気を出す。広いお風呂は本当に気持ちがいい。

風呂から上がり仕事のメイルチェック。昨日からずっとなのだが、部屋に来ている光回線は、インターネットには普通に繋がるのだが、会社のVPNに接続できない。恐らくIPが競合しているとかそういう話なのだと思うが、ホテルに文句を言う筋の問題ではないのだが、とにかく繋がらないのは困る。結局Edgeで繋いでのろのろとメイルチェック。何のために光回線の部屋にしたのか分からない。むう。

仕事を中断して朝食を食べに行く。最近はビジネスホテルも競争が激しいようで、朝食ブッフェが充実しているところが増えてきたように思う。このホテルもかなり美味しい朝食だった。ここ数日ずっと寝不足気味で、あまりたくさん食べると眠くなり仕事をする意欲がなくなりそうだったので軽めにしておく。

食後は再び部屋に戻ってしばらく仕事をしてからチェックアウト。時間がなくなってしまい、キャスターバッグに昨日着ていたシャツだの下着だの、昨日コンビニで買って飲まなかったウィスキーの小瓶だのをでたらめに放り込む。

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西中島南方駅から一駅だけ地下鉄に乗って新大阪へ。新大阪駅は以前はJR東海のExpress Cardの券売機が非常に少なくて大慌てしたのだが、今回は改札脇にずらりと券売機が並んでいた。助かる。

というわけで、8時過ぎの「のぞみ」で大阪を発つ。慌ただしい。本当だったら野原さんにも会いたかったし、高校時代の同級生のハセさんにも会いたかった。また近いうちに来ますので是非。

新大阪から名古屋までは一時間もかからない。昨日のプレゼン資料を仕上げるほどは時間がないので、昨日の神戸の出張報告書をノートPCで仕上げておく。いやー本当に今回の出張は移動中も含めてずっと仕事してるなあ。

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名古屋から東海道線に乗り換えて刈谷へ。電車が遅れていて焦るが何とか間に合う。刈谷駅のコインロッカーにキャスターバッグを入れようと思ったら、小さいサイズのロッカーしかなくて入らなかった。以前刈谷で預けた記憶があったのだが、名古屋駅の間違いだったかも。だったら名古屋で預けてくれば良かった。ごろごろと荷物を引っ張って客先へ。

一時間ほどみっちり打ち合わせ。今後の方向性が決まり、やれやれと。肩の荷が下りた。

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打ち合わせの結果を携帯で担当のDさんに報告しつつ刈谷に戻り、東海道線で名古屋へ。帰りも電車が遅れていた。

名古屋駅のホームできしめんを食べる。530円のかき揚げきしめん。美味し。

名古屋からの「のぞみ」では、昨日作りかけたプレゼン用の資料を仕上げる。とりあえず完成させてほっと一息。コーヒー飲みつつその後の予定を確認する。

帰京後はそのままお台場に直行する予定でいたのだが、東京駅まで行くより、品川で下りて大井町に出てりんかい線に乗った方が早いと思い、よし、品川で下りよう、と思ったら、乗っていた「のぞみ」は品川に止まらない列車だった。まあいいか、と思っていると、担当のS君から携帯に連絡が入り、先方のボスの方とのミーティングが2時半からに設定されたとのメイルが入る。僕が乗っている列車は13時46分東京着で、東京から新橋に出てゆりかもめでお台場に行っては、多分間に合わない。

困ったなーと思いつつ列車が新横浜に着こうとしていると、車内アナウンスで、5分後に「こだま」が来るという。大急ぎで撤収準備をして新横浜で「こだま」に乗り換え、品川で下車。大井町に出てりんかい線に再度乗り換えて東京テレポートで下車。駅前からタクシーで客先へ。客先に到着したのがアポ5分前。おー、間に合った!F君M君KZ君S君と合流して客先へ。

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2時半、3時、4時とミーティング連発。それぞれがクリティカルで息が抜けない。5時半頃に仕事を終え、S君と一緒にオフィスに戻るともう6時半。今日は7時から先月末で退職したYさんの送別会なのだが、どうにも最初からは参加できそうにない。

大急ぎで最低限の仕事だけしてオフィスを飛び出し、送別会場へ。今回の会場は韓国料理屋さん。ビールの後はウーロンハイをちびちび。緊張感が取れずに苦労していたが、徐々にほぐれてきた。

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一次会では〆の挨拶などして、その後は二次会に移動。二次会はいつもの素材屋。OGのTさんと結構熱く仕事についてというか、職場について語ったり。

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11時過ぎに二次会を終え三次会にも参加するつもりで歩いていたのだが、急にストンと疲れと眠気がやってきて、三次会参加は断念して市ヶ谷から何故かJRで信濃町に出て、そこからタクシー。確かに市ヶ谷から乗るよりは信濃町から乗った方が割安ではあるのだが、どうせ電車に乗るなら南北線に乗れば一本で麻布十番まで帰れるのに、何故JRに乗ったのか不明。それほど酔っているつもりはなかったが、どっと疲れてしまい、思考が停止してしまっていたようだ。

信濃町の駅からタクシーで家の近所の交差点まで。タクシーを降りていつものスーパーで買い物していて、キャスターバッグを持っていないことに気づいた。完全に思考停止して、惰性で動いていたので、一体どこで忘れたのか見当もつかない。一次会の会場を出た時には確実に持っていた。二次会の会場に入った時も持っていた。でもその後が分からない。二次会の会場に置いてきたか、JRに乗る前に入った市ヶ谷駅のトイレに置いてきたか、電車の中に忘れてきたか、それともタクシーの中か、全然思い出せない。

仕方がないので、もう一度タクシーに乗って市ヶ谷へ。車中から携帯で二次会の会場に問い合わせをしたが、バッグはないとのこと。あんなでかいキャスターバッグ、忘れていればすぐに気づくよなあ。

市ヶ谷駅のトイレも確認したがない。念のため二次会会場にも行ってみたが、やはりない。よもやとは思いつつ、一応確認のために一次会会場にも行ってみるが、当然ここにもバッグはなし。ううむ、そうすると、タクシーか電車の中に忘れたか、それともトイレに置き去りにしたのを誰かが持っていってしまったか、のどれかだろう。普段ならもう少し冷静に対応できたと思うのだが、とにかくもう疲労困憊してしまい、三度タクシーに乗って自宅まで。途中運転手に忘れ物の問い合わせ先の電話番号を教えてもらう。夜間はほとんど人がいないので、明日の朝以降に連絡すると良いだろう、とアドバイスをもらう。

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すっかり消耗して1時ごろに帰宅。バッグの中に大事なものが入っていなかったのが不幸中の幸いだ。

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今日の体重:94.8キロ(04年6月1日スタート時: 99.2キロ、10月末の目標: 94.0キロ、最終目標: 77キロ)

やりきる力:4日(走れた日の日数)/11日(トータルの日数) 出走率: .364(去年の通算10/22まで.477)


2004年11月2日(火) 煙霧 のち 晴れ

【記録更新/好天のお台場/一の酉】

5時20分起床。外はまだ薄暗い。薄暗い上に外は煙霧。ジョギングに出ると六本木ヒルズの銀の塔の上半分が見えない。へぇ。今日も標準タイム測定コースを43分。昨日走らなかったのが悪く作用したのか、それとも昨日外で飲んだのがいけなかったのか、体が重くてスピードに乗れなかった。まあ、乗れるも乗れないもないぐらい遅いのだが。相変わらずジョギングしている人が多い。

でも帰宅して体重計に乗ると、95.4キロと昨日に続いて最低記録を更新。10日で2.6キロ落ちたことになる。まあこれも一時的なもので、ちょっと外で飲み会があったりすればすぐに元に戻るのだろうが、それでも成果が出ると嬉しい。

喜びつつグラノラとオールブランを混ぜて食べ、みかんも食べる。コーヒー飲んで支度して出勤。

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仕事。昼からお台場へ。昼飯を食べる時間が取れず、せいろを半分食べて時間切れ。慌てて電車に飛び乗る。ゆりかもめに乗ってレインボー・ブリッジを越える時、波が太陽の光を浴びてラキラと輝いていた。駅でS君と合流して客先へ。一時間ほどミーティング。濃密。

S君と別れて僕は一人で日本橋へ。今度はI君と待ち合わせして久々のT社。さくさくと打ち合わせて帰社。

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軽く残業して会社を出て入谷へ出てN藤と合流。今日は鷲神社の一の酉である。でも我々は参拝もせずにいきなり屋台に座り込んで乾杯。まあ、いつも通りの行動である。屋台でビール飲んでサザエだのおでんだのをつまみ、僕は日本酒を。N藤はハルキをトイレに連れて行った帰りに酒屋で赤ワインを買って来てラッパ飲み。ううむ。

小学校脇の公園でハルキを遊ばせつつ二人で赤ワインをラッパ飲みで回しのみ。お祭りなのでそこら中で人々が車座になって飲んでいる。公園の反対側にいたヤンキー風のお兄ちゃん達とハルキが仲良くなってしまい、何故か我々もその団体に吸収合併されることに。何故僕はスーツを着てヤンキー達と一緒に飲んでいるのだろうか。非常に疑問だが、まあお祭りだからいいか。

N藤の携帯に彼女のお母さんから連絡が入り、N藤の小学校時代の親友が店に来ているのですぐに戻るようにとの指示が入る。急いで戻り、そこら中の人達に挨拶して満員の店の隅っこで飲ませてもらう。日本酒→ワイン→日本酒という最悪のチャンポン。友達も既に結構できあがっていて、目が座っている。

すぐに我々が座っている場所にも客が入るとのことで、撤収して上へ。N藤のお姉ちゃんも乱入して改めて飲み会。で、ここではまたワイン。ほとんど何も食わずにワインと日本酒を交互に飲むとは、とても体に悪いことをしているように思う。

ハルキはお祭りでテンションが上がってしまい、真夜中を軽く過ぎてもまったく寝ようとしない。こちらはちゃんぽんのせいか、ジョギングのせいか、女3人に男1人で延々と女子系の話題が続いたせいか、眠くて仕方なくなってしまい、ハルキが眠ってしばらくは我慢していたのだが、耐えられなくなり、ハルキの隣で寝てしまう。ううむ、無念。

さっきから僕の携帯がブルブル言っているぞとN藤に起こされるともう4時半近い。女3人はまだ宴会真っ最中(笑)。しまった、明日も早いのにすっかり寝込んでしまった。急いでN藤宅をお暇してタクシーを拾って帰宅。さすがにニナに叱られる。うーむすみません。

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今日の体重:95.4キロ(6月1日スタート時: 99.2キロ、11月末の目標:95.0キロ、年末の目標: 92.0キロ)

やりきる力:再開1日目(10/11)。


2003年11月2日(日) 晴れ のち くもり
【5キロ/「港区史」購入/実家へ】

6時半頃起床。ニナはコンタクトを外さずに眠ってしまった(片目だけ)と騒いでいたが、よく調べてみたらちゃんと外れていた。外れた後に散々目をいじってしまったらしく、片目が腫れてしまっている。気の毒だけど、何だか妙におかしい。

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ニナは二度寝してしまったので僕はジョギングに出る。昨日は長く走ったので今日はいつもの5キロにちょっとプラスぐらい。けやき坂〜櫻田神社〜テレビ朝日通り〜紺屋坂〜笄小〜広尾橋〜天現寺〜四の橋〜絶江坂〜氷川神社〜一本松というコース。紺屋坂は初めて走った。というか、この道を通るのって、恐らく中学生の時以来。決まった道の他は、意外と歩かないものだ。

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帰宅したらニナが起きていたので僕が朝食を作る。残り物で作った丼。豚肉とネギと春菊を玉子でとじたもの。味付けが決まって美味しかった。

ニナは昨日に引き続き「Chicago」祭が続いているようなので、僕一人で外出。昨日日本の古本屋経由で神保町の古書店に注文した「港区史」上下巻を受け取りに行く。もちろんネット注文なので銀行に代金を振り込めば発送してくれるのだが、せっかくの休日で夕方まで予定もないので、早く買ってゆっくり読むことにした。

神保町交差点すぐ裏の古書店で無事本を購入。状態も非常に良くて満足。代金は上下巻で18,000円。安い買い物ではないが、必要なものなので仕方がない。ずっと図書館から借り続ける訳にもいかないし。

神保町界隈は古本まつりが開催されていて大賑わい。欲しい本は結構あったのだが、18,000円も本にお金を使ったばかりなので何も見ないふりをして家に戻る。商店街のサンモリッツでパンを買って帰宅。

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午後は麻布細見を更新したり、溜まった日記を書いたり。麻布細見のサイトに地図を載せたいのだが、どうやったら簡単に旧町名の地図を描けるだろうか。原図をスキャンしてIllustratorあたりでなぞるのだろうか。誰か得意な方、是非教えて下され。

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夕方からニナと二人で僕の実家へ。駅まで母と弟が迎えに来てくれていた。

夕食を食べつつあれこれ話す。中でも興味深かったのが、僕の祖母は昭和6年に麻布霞町に引っ越してきて、それが我が家と麻布の関係の始まりだとばかり思っていたのが、実はそうではないことが判明したこと。

昭和6年に祖母が大連から霞町にやってきた時点で、すでに曽祖母は龍土町に住んでいたというのだ。龍土町にはもともと親戚が住んでいて、その親戚の家の近くにいたというのだが、それが何時からなのかは残念ながら分からない。曽祖母は20年前に亡くなっているし、祖母は憶えていないという。もともと龍土町に住んでいた親戚に聞いてみれば何か分かるかな。この親戚というのも、僕は生まれてから一度しか会ったことがない人なんだよなあ。ここでも見ててくれれば話が早いんだが←見てません。

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真夜中近くまで談笑して、母の車で送ってもらって帰宅。お疲れさまでした。


2002年11月2日(土) 晴れ
【人形町紀行 その1】

目覚めて抜けるような青空を見たら急に、人形町に泊まりがけで行こう、ということになる。昼頃家を出よう、と準備していたのだが、部屋の掛け時計が電池切れで一時間ほど遅れており、我々の出発も一時間遅れ。がうー。

空きっ腹を抱えて日本橋まで出て、まずは腹ごしらえということで「たいめいけん」へ。Jacob 246さんのレビューは2階の高級店だが、我々は質素に一階へ。案内してるウェイターの親分が、「一階大衆食堂」と何度も「大衆食堂」を強調するのはちょっとどうかと思う。大衆食堂って言ったって、普通に食べれば一人2,000円ぐらいはかかるんだから。

で、ニナは牛肉のオムライス、僕はビーフカツレツを。それに一杯50円のボルシチとこれまた一皿50円のコールスロー。ニナはオムライスにかかっていたドミグラスソースにひどく感動したようで、ずいぶん喜んでいた。僕の頼んだビーフカツレツにもドミグラスソースはかかっていたのだが、僕はそれほど感動しなかったなあ。

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満腹して店を出て、日本橋へ。仕事で何度もこの辺りをうろうろしたことがあるのだが、この橋をちゃんと認識して「日本橋」と思って眺めたことはなかった。こうして写真に撮ってみるとなかなか立派なものだが、日本橋の真上を首都高速環状線がまたいでいて、景観は悪いなんてもんじゃない。今だったら日本橋の真上に高速を通すなんて言ったらそれなりに反対運動が盛り上がったりするのだろうが、高度経済成長期には、橋の景観よりも高速道路だったのだろう。こればかりは仕方がない。

日本橋を南から北に向かって渡る。実は日本橋より北に来たのは多分生まれて二度目。前に来たのは7、8年前で、しかも仕事でちょろっと来ただけだったので、まるで土地勘がない。裏道をどんどん歩いていくと、いい感じの建物がたくさん残っている。上の写真は裏道に残っていた廃屋(?)にかかったまま放置されていた看板。両替商である。建物の痛みも酷く、もう風前の灯という感じ。次にここを訪れても、もうこの建物は残ってないかもしれん。しかし三越の建ってる中央通りからすぐ一本裏の道にこんなものがそのまま残ってるとは、恐るべし。

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裏道をうろうろしながら大伝馬町に出て、そこから人形町に南下。相変わらず裏道にはいい感じの建物や路地が多くて嬉しくなる。表通りから小さな参道があって、小さな小さな神社があったりして実にいい感じ。しかもその神社に近所の若い女の子が通り掛かりにふらっとお参りに来たりもしていて、生活の中にまだ路地が生きている。

しばらく歩くと人形町交差点。人形町の通りは、街路樹が一本ずつ違う種類の木々が植えられ、木々が活き活きとしていてすごくホッとする。少し歩くと甘酒横丁。両側に落ち着いた感じの商店が並ぶ。観光地化されきっていない商店街、実にいい。

甘酒横丁の奥にあるホテルKにチェックイン。これまたビックリするぐらいこぢんまりしたホテルである。小さくて余計なものがない、シンプルでいいホテルである。自分好みの枕を選べる「枕工房」や、自由に本を借りられる「ライブラリー」、それに落語家のCDも借りられるし、近所の銭湯に行くための「銭湯セット」も。さらに自転車も貸してくれる。細かいところにオーナーのこだわりが感じられる。

部屋に入ってしばし昼寝。日暮れ時に起きだして、予約してあった「六兵衛寿司」へ。人形町と言えば「喜寿司」なのだが、喜寿司はあまりに値段が高いので、分相応に六兵衛へ。

予約した6時に入店したら、もうカウンターはほとんど満席。どの客も地元の常連ばかりという雰囲気。ビールを頂きつつ刺し身。茹でたタコと小柱が少々、その後でサバの和風マリネみたいなもの。悪くはないが、はっとするようなものはない。白木のカウンターは12席程度。板前は二人いる。我々の隣には地元の社長さん夫妻らしき男女が座り、男の方がぷかりぷかりとタバコをやらかす。

日本酒を熱燗で飲みつつ握り。最初に中トロが出てきたが、これはちょっとガッカリ。シャリははっきりとレベルが低い。平貝、アジ、ウニ、スミイカ、穴子など。穴子は焼きたてのほかほかで嬉しかったが、ツメが甘すぎた。追加でカンパチと赤貝、最後にかんぴょう巻きとひもきゅうをもらってフィニッシュ。かんぴょうも驚くほど甘い。

会計は二人で約2万円。滞在時間は一時間強だから、価格帯としては浅草の弁天山美家古とほとんど同じぐらい。うーん、だったら絶対美家古に行くぞ、という感じ。タネのレベルもシャリのレベルもやっぱり数段違う。ある人が、六兵衛寿司は上野毛の「あら輝」と並ぶ名店、と褒めていたので期待して行ったのだが、ちょっと期待外れ。この店は地元の人を相手に堅実に仕事を続ける、街の寿司屋さんであった。決して悪くはないのだが、遠くから通うほどの店ではない。

寿司屋を出てしばらく夜の人形町散歩。上の写真は甘酒横丁にある三味線屋さん。写真には写っていないが、右奥には店の親父さんがいて、三味線を黙々と作り続けていた。この三味線屋の向かいには鯛焼き屋があって、夕方は大行列だったが、7時過ぎには既に閉店していた。鯛焼き屋だけではなく、ほとんどの店が7時半にはもう閉店していて、まるで真夜中のよう。何だか時間の感覚がおかしくなってくる。

時間もまだ早いので、もう少し飲もうということになる。箱崎までのんびり散歩して、ロイヤルパークホテルの地下にあるバーでリキュールだのカクテルだのを頂く。やたらと声のでかいアメリカ人と、そのとりまきの日本人の団体がいた。ニナが頼んだネグローニには、何故かソーダが入っていて、代わりにベルモットが入っていなかった。

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それなりに酔っぱらってまたぶらぶらと散歩して宿に戻る。たくさん歩いたので疲れていたようで、ベッドに潜り込んだらあっという間に眠ってしまった。


2001年11月2日(金) 晴れ のち くもり
一昨日は仕事絡みの飲み、昨日は新入社員の歓迎会と、二日続けて会社関係の飲みが続いた。一昨日は9時過ぎには家に帰ってきたのだが、外で一人でワイン1本飲んでしまったうえに、家に帰ってきてからもバーボンを飲み、だらだらと過ごす。昨日は歓迎会の二次会まで参加。カラオケで3曲ほど歌い、午前様。というわけで、二日日記を書かなかった間、僕はひたすら外で飲んでました。いやはや。

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田中真紀子外務大臣の阿呆な言動が連日紙面を賑わしている。先日、ヨルダン・ハシミテ王国の首相との約束に10分遅刻したのに謝らず、相手が不快感を示した、とあった。今日は、イランの外相との会談に30分遅刻、とある。

外務省内のゴタゴタについては、外相も官僚もどっちもどっちという感じがするので、呆れつつも、しゃあないかって気にもなるが、約束した時間に遅れ、謝らないってのは良くない。相手はそれだけで、日本の外相を、対等な相手として見ないだろう。彼女がプライベートでどれほどだらしなくルーズであってもかまわないが、公人として日本を代表する立場にある場合には、約束の時間ぐらい守れよ、ほんとに。

これは僕の勝手な憶測なのだが、田中外相は、知らない人と会うのがあまり好きではないのだと思う。就任直後から、アーミテージさんとの会談のキャンセルに始まり、とかく外国の要人と会う予定をすっぽかしたり、遅刻したりしている。

あのおばちゃんがどんなに内弁慶であろうとそんなこと知ったこっちゃないが、それで外務大臣って大丈夫なのか?僕はダメだと思うぞ。多少内閣支持率が下がるという痛みを伴っても、一日も早くあの外相は更迭すべきだと思っている。

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あれ、僕なんで政治について熱く語ってるんだろうか。まあいいか、金曜だし(不明)。

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あと10日ほどで新婚旅行に出発するというのに、なんだか全然実感が湧かない。旅行代理店に勤めている学生時代の友達のキクチに手配をお願いしたのだが、なにせ僕は旅行代理店を経由した旅行というのをしたことがない。今までの旅行は、自分で汽車や飛行機の時間を調べ、チケットを買い、宿を探し、予約し、という行程を経て旅立っていたのだが、今回はキクチにツアーの型番をメイルで連絡しただけで、他には何もやっていない。旅行の10日前の時点で、自分が何時の飛行機に乗るのかも知らず、宿の電話番号も知らない(調べればもちろん分かるのだが調べる必要がないから調べてない)というのは、何だか心細いものである。

今日、部下の健ちゃんと昼飯を食べに行ったら、「あらゆる意味で頑張ってきてくださいね」と励まされる。本人は婉曲表現したつもりかも知れないが、ストレート過ぎである。

ああ、でも僕の海外旅行童貞(失礼)も、あと10日で幕を閉じるのだなあ。海外なんか行かんでも外国語なんぞいくらでもマスターできるわいタコっ、という僕の中の突っ張りポリシーももう幕である。

一度行っちゃったら、もう何回行ったって一緒なんだから、せっせとお金を貯めて、せっせと行きましょう。

でも、最初の海外旅行がパラオというのは、なかなか牧歌的で素敵である。次は是非ヨーロッパに行きたい。フランス、イギリス、北欧、ギリシャあたりは是非。

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下北沢の歌姫から、スケジュールのハガキが届く。母親からも、スケジュールのハガキが届く。音楽を生業に生きる、全然違う二人から同じ日にハガキが届き、何だか懐かしいような、何ともいえない気分になる。

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今夜は、ニナが会社の送別会に出席のため一人で過ごす。二日続けて外で飲んだので、今日はまっすぐ帰ってきたかった。堀内さんの日記のせいで、すっかり寿司禁断症状に冒されていて、しかし旅行前でお金を使いたくないので、近所の酒屋で日本酒の四合瓶を買い、宅配専門の寿司屋から出前を取って、iMacでどんどんCDを読みながらゆっくり食べる。

全然思いつきもしなかったが、一人で自由に家でくつろぐというのは、実に久し振りのことで、これはこれでとても素晴らしいことだ。二人で過ごすのはデフォルトなのでもちろん問題ないのだが、たまには何のタスクもない状態で、一人で放っておいてもらえるってのは、とても大切なことだ、と実感。

僕が仕事絡みの飲みで遅くなることはしょっちゅうあっても、ニナが飲んで遅いってのは、めったにない。

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「328に行きたいなー」と、一昨日の日記に書いたら、さっそくなかじさんが伝言板に現れて、「こいこい」と言ってくれる。アキラでと一緒に行くべか。今度。あ、でも浩司さん達とも一緒にいかにゃあ。

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眠る前に、大豆を水に漬けておかねば。

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明日は久し振りに友達が部屋に遊びに来る予定。掃除しなきゃ。


2000年11月2日(木)

記載なし


1999年11月2日(火)

K-1チケット申込


1998年11月2日(月)

久々の実家


1997年11月2日(日)

記載なし


1996年11月2日(土)

前略、腕章様



昨日作者について明日


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