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東伏見から練馬区の北裏へ かつて暮らした街を歩く [2026年1月 流浪の大徒歩 その4]

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東京都西東京市東伏見から、青梅街道を歩き練馬区に入り北裏の交差点まで。

2026年1月の「流浪の大徒歩」シリーズ。

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2026年1月流浪の大徒歩
「2026年1月流浪の大徒歩」の記事一覧です。

 

東伏見稲荷神社に参拝した僕は、ある目的を持って移動を開始した。

今回は1997年から2002年まで暮らした東伏見から練馬区の北裏までの街歩き。

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東伏見から練馬区の北裏へ かつて暮らした街を歩く

▲ 東伏見の交差点から青梅街道を歩く。

正面の2階建ての住宅の一つ裏に、かつて僕が27歳の時に最初に一人暮らしをした3階だて鉄筋のアパートがあった。

今ではそのアパートの建物はなくなって代わりに2階だての住宅が新しく建っていた。

僕の部屋は3Fだったので、手前の住宅より上に窓があり、部屋の窓から青梅街道が良く見えた。

あと、そのアパートには屋上があり、3Fよりさらに上だったので、天気の良い休日の夕方に缶ビールを持って屋上に上がり、青梅街道を眺めながらビールを飲んだ記憶がある。

ただ、青梅街道が良く見えるということは、ひっきりなしに行き交う自動車やバイクの騒音もダイレクトに響いてきたので、良かったのか悪かったのかは良く分からない。

 

▲ かつて暮らしたアパートのすぐ近くに歩道橋があり、その目の前にそば屋さんがあった。

実家を出て引っ越しを終えたあとに、そのそば屋さんで引っ越し祝いをしたのだが、建物ごとなくなっていた。

そしてその右側にはタクシーの営業所が当時と変わらぬ姿のままあった。

変わったもの、なくなったもの、変わらないものの対比が時代の推移を感じさせる。

 

▲ そしてこちらは僕が1回目の結婚をした時に暮らしていたマンション。

さきほどのアパートから徒歩2分くらい。歩道橋を渡ればすぐだ。

もともとこのマンションには1回目の結婚相手が女友達と2人でルームシェアして住んでいた。

そして僕が青梅街道反対側のアパートに引っ越してきて住み始め、彼女が僕の部屋に転がり込んできて、ほぼ同棲生活が始まった。

ということは、こちらのマンションの彼女の部屋は荷物置き場と化してしまっていた。

そんな折、彼女とルームシェアしていた女友達が結婚のため部屋を出ることになった。

こちらのマンションは二人で暮らせる程度間取りが広く、家賃も折半すると割安になったので、僕は1年半弱ほどでアパートを引き払い、こちらのマンションで彼女と同棲することになった。

 

▲ 同棲開始が1998年で、ここに住んでいた2001年に結婚をして、2002年に元麻布三丁目(ほぼ麻布十番)に引っ越すまで約4年ここに暮らした。

僕はここで3本の小説を書き、そのうち2本を新人賞に応募したり、勤務先の会社の仕事がめちゃくちゃ忙しくなり、毎晩のように夜中の3時にタクシー帰りしたり、なかなか激しい日々を送った。

 

▲ 当時暮らしたマンションから一旦青梅街道の一本裏の路地を進む。

梅林が、当時と変わらぬ姿でそこにあった。

恐らく枝を切って花屋さんに売っているのだろう。

 

▲ 目的地はここにかつてあった街中華のお店「華一会」。

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残念ながらお店は閉業していた。

というか、マンションからここに向かう時にマップアプリを立ち上げたが出て来なかったので、恐らく閉業したのだろうとは思いつつ、自分の目で確認しようとやってきた。

お父さんと息子さんの二人のシェフと、それぞれの奥さんの4人で切り盛りしているお店だった。

金曜日夜中まで遊んで明け方に眠り、土曜日の昼に目を覚まして彼女とここに昼飲みに来るのが大好きだった。

 

▲ というわけでランチ難民と化した僕は、北裏の交差点に向かい練馬区に入った。

BSEが大騒ぎになった頃に応援のために通いまくった「叙々苑」が健在。

でもちょっと焼肉の気分ではなかったのでパス。

 

▲ 北裏の交差点に、永谷園の直営ファミレスがあったと思ったが、「肉の満牛萬」なる焼肉屋さんになっていた。

 

▲ 北裏の交差点角に、当時はレンタルビデオ店があった。お店の名前は憶えていない。

このレンタルビデオ店は、音楽関係、特に海外ミュージシャンのライブなどマニアックな品揃えで輸入盤ビデオも多く、毎週のように通っていた。

今はもう、「レンタルビデオ」という言葉自体が死語だよねぇ。

お店があった場所は学習塾になっていた。

 

▲ 北裏の交差点脇には、関東バスの折り返し所がある。

ここの景色は当時と全然変わっていない。

三鷹から来るバスの終点がここで、ぐるっとUターンするのだ。

 

▲ 今はどうなのか知らないが、当時は最寄りの東伏見に行くバスが早く終わってしまい、この北裏行きのバスは深夜まで走っていた。

なので三鷹から深夜に北裏までバスに乗り、北裏から自宅までトボトボと歩いて帰ったことが何度もあった。

仕事で疲れ切ったあとに、重い荷物を持って徒歩15分歩くのがキツかったのを良く憶えている。

この日のまとめ

目当ての中華料理屋さんがなくなっていて、結局ランチを食べずに北裏からバスに乗ることになった。

24年という年月の流れで大きく変わった部分と、何も変わっていない部分のコントラストが印象的だった。

次にここに来るのはいつだろう。

そんなことを思いつつ、僕は次の目的地を定めずバスに乗り込んだ。

つづく。

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