思うこと



1997年7月1日(火)


Both Yens / Yutaka Fukuoka

 

他人は誰も気付かないような、ふとした言葉が心に反響してしまうことって、きっと誰にでもあることなんだろう。

「お母さん、俺コーヒー飲みたいな。」

至極当たり前のように彼によって発せられたこの言葉が、僕を一瞬フィードバック状態にさせた。なんてことはない、食事の後のくつろいだ時間にコーヒーが飲みたいということの意志表明、それだけのことなのだが。

サザエさんを見ていると夕食は丸い食卓を囲んで輪になって食べている。カツオが元気に「おかわり!」と叫びながら茶わんをさしだすと、お母さんなりサザエさんなりが「はいはい」と言ってごはんをよそってくる。

僕はこういう経験が殆どないので、なかなか他人にそういうことをお願いすることができない。小さいころからあまり両親と一緒に食事をする機会がなかったと言うこともあるかも知れないし、両親の離婚後は、常々母から「これからはおとこの人もなんでも自分でできなきゃ生きていけないのよ」と言われて続け、食事の支度や掃除洗濯が女性の仕事であると考えることがどんなに罪悪であるかということを言われ続けてきたせいかもしれない、あるいは実際に「コーヒー入れてよ」と頼んだところで、誰もコーヒーを持ってきてくれる人がいなかったからなのかも知れない。まあ、そんなことはどうでもいいことなのだが。

何でも自分でやりなさいというしつけも、また実際半強制的にそうしなければならない環境に自分が置かれて育ったことにも格段の不満があるわけではなく、逆に喫茶店に行かなくてもおいしいコーヒーをいれられる自分は結構得をしているなあなどと普段は思っている。

食事にしても、まあ普通のものなら大抵作れるからそのほうが断然便利だし、自分の好きなように味付けが出来るのだから、不満を言うこともなく、なかなか良いとも思っている。

でも、ふと羨ましく思ってしまうこともある。夕食時には家族が揃い、父と息子はお互いの生き方を語り、息子の芸術作品を評価している。母は客人をもてなす為の食事を作り部屋を飾り付けワインを冷やし、父とともにビールのグラスを傾ける。

他人の家庭を羨ましがるなんて情けないことだが、ちょっとだけ羨ましかった。まあ、家族揃っての食事や父と飲みながらあれこれ語りあうということもそうなのだが、自分の進む道を理解してくれる親というものを、目の当たりにして、正直羨ましく思った。

まあ、羨望はしても、嫉妬はしていないので、心配は御無用だよ。

うーん、それにしても、羨ましい。きゃー。しつこいって。






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