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「やらねば」ばかりをやって、「やりたい」を置き去りにしていませんか?

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会社でも、家でも、そして自分自身に対しても一生懸命な人は、つい「やらねば」ばかりをやって、「やりたい」を置き去りにしてしまいがち。

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「やらねば」ばかりをやって、「やりたい」を置き去りにしていませんか?

「やらねば」をやろうとすると、ときどき辛い。

「やらねば」に取り組もうとすると、「やりたくない」という気持ちが湧いてくる。

そんなとき、私たちは、「やらねば」を優先させるために、自分の心を殺そうとする。

「やりたくない」という気持ちを「無駄なこと」、「意味のないこと」として、心の奥底に送り込み、封印してしまう。

感情を封印してしまうと、「やらねば」をこなすことはスムーズになったように感じる。

いちいち「イヤだ!」「やりたくない!」「面倒くさい!」と感情に囚われているよりも、効率的に感じる場合もある。

でも、殺された感情は、あなたの本当の想いは、なくなったわけではない。

「本当はこんなことイヤなんだ!」というあなたの叫びは、消滅したのではない。

あなたの本当の想い、感情は、封印された心の奥底に溜まり続け、徐々に腐敗し、ガスを放ち始める。

心の奥の毒ガスの圧力が高くなってくると、私たちは感情を抑えることができなくなったり、不安定になったり、時として心の病気になったりする。

それは、心の逆襲だ。

心を封印したまま生きていくことは、私たちにはできない。

私たちは機械ではない、私たちはAIではない。

私たちは感情を持った生身の生き物であり、私たちの「理性」というのは、脳が作り出した幻想の一つに過ぎない。

「こうあらねば」「これをやらねば」というのは、理性が作り出した虚像である。

理性が作り出した虚像のとおりに動けない自分を、私たちはなぜか、責めてしまう。

ダメな自分を責め、そしてイヤだと感じることを自分に禁じ、封印しようとする。

でも、感情を封印するとき、私たちは、「イヤだ」「やりたくない」だけを封印することはできない。

感情を閉じこめるとき、私たちは、一緒に「やりたい」「すごく楽しい」「ワクワクする」などの、本当の喜びも、一緒に封印してしまう。

なぜなら、本来感情には、「良い」も「悪い」もない。楽しいも悲しいも嬉しいも腹立たしいも、全部「感情」なだけなのだ。

それを一つ一つ、理性でラベリングして、「これは良い感情」「これは負の感情」と、レッテルを貼っているだけなのだ。

本来仕分け不能な感情を、無理やり分類しようとしても、そんなことはできない。

「イヤだ」「やりたくない」「腹立たしい」といった感情だけを閉じこめたつもりが、「楽しい」「ワクワク」「絶対にこれをやり遂げたい!」という感情も、私たちは一緒に閉じこめてしまう。

感情を閉じこめてしまうと、僕たちは、極端に辛いこともないけれど、嬉しいこともあまり感じられない、ノッペリとした世界を生きることになる。

そこには「本当にやり遂げたいこと」「自分が生まれてきた意味」を含む、ビジョン・ミッションもない、サイボーグのような日々が待っている。

だが、閉じこめた感情は心の奥底で腐敗し、毒ガスを放ち続けている。

そしてそれが限界に達したとき、僕たちの心は、壊れてしまう。

「やらねば」ばかりをやっていると、「イヤだ」「やりたくない」という気持ちを封印してしまう。

私たちは、「イヤだ」「やりたくない」という気持ちを認めていい。

自分の心を殺してしまうと、やりたいことが見えなくなってしまう。

そして、私たちは、「やりたい」を、もっと大切にしていい。

「イヤだ」も「やりたい」も、自分の心の声。

良いも悪いもなく、しっかり認めてあげていい。

やりたいことが何なのか分からない人は、まずは「やりたくないこと」「イヤなこと」を押し殺していないか、見てみてはどうだろう?

感情を押し殺す人生からは、本当のワクワクもビジョンも生まれてこないから。

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