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38歳 八方塞がり人生 「好きなことが何か」すら分からなかった僕は「ブログ」を突破口に選んだ 〜 立花はいかにして「好きなことだけして食っている人」になったのか?歴史を語ろう 第3回

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メルマガ連載「立花はいかにして「好きなことだけして食っている人」になったのか?歴史を語ろう」のブログ転載、第3回です。

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前回は実家の借金問題について書きましたが、今回はそれ以外に僕に押し寄せていた問題について書きます。

ちなみに写真は2004年5月に、仕事で前職社長と北京に行ったときのもの。このころすでに105kgの肥満状態でした。パンパンですね(笑)。

「好き」を封印し続けて生きていると、「好きなこと」が何なのかすら分からなくなってしまうのです。

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38歳 八方塞がり人生 「好きなことが何か」すら分からなかった僕は「ブログ」を突破口に選んだ 〜 立花はいかにして「好きなことだけして食っている人」になったのか?歴史を語ろう 第3回

連載でお送りしている「立花はいかにして「好きなことだけして食っている人」になったのか?歴史を語ろう」、第3回です。

昨日は実家の借金の肩代わり返済のことを書きました。

貯金もなくなり、住んでもいない家の借金を返す日々になった僕は、他にもいくつも問題を抱えていました。

一つは、仕事のこと。

僕は法政大学の英文科を出たあと、一年翻訳の専門学校に通い、24歳で翻訳会社に就職しました。

縁故などではなく、新聞広告でたまたま見つけた、入社当時は社員が10名もいない小さな会社でした。

2008年の段階で、入社から一筋で14〜15年在籍し、ITバブル崩壊に伴う倒産の危機を乗り越えたりもしてきました。

さまざまなご縁があり、僕は創業者であるオーナー社長に、「次の社長をやってくれ」と頼まれていました。

しかし、どうにも燃えないのです。

仕事は一生懸命やっていましたが、どこかで冷めていて、不完全燃焼でした。

「ここは自分が本当に骨を埋める場所ではない」というような違和感があり、いつも消えませんでした。

しかし、2008年当時の僕は、37歳から38歳になろうという時期でした。

転職するにしてもタイムリミットでしたし、そもそも僕は転職したいのではなく、「自分の名前で仕事がしたい」のでした。

でも、自分の名前で仕事をする、独立するには、手に職がなければできませんし、立ち行きません。

そして僕には、食っていけるだけの専門性も技術もありませんでした。

悶々としたまま、どうにもならず、違和感ばかりが募る日々でした。

そしてもう一つの問題は家庭のこと。

詳しくは書きませんが、前の奥さんとの家庭が崩壊状態でした。

そしてさらに深刻だったのが、健康問題でした。

学生時代はがりがりでモデル体型だった僕ですが、就職後ストレスと暴飲暴食でぐんぐん太っていきました。

20歳のときに身長190cmに対して70kgだった僕が、30歳のときには100kgを越えるようになり、35歳のときには105kgに到達していました。

健康診断の数値も年々悪化していき、35歳を過ぎてからは、地下鉄の階段も途中で休まないと登れない状態でした。

お医者さんには、「心筋梗塞、肝硬変、糖尿病、脳梗塞、痛風など、どの生活習慣病が発症してもおかしくない状態」と言われていました。

お金もなく、家庭も崩壊、仕事はやり甲斐を感じられない、そしていつ病気で倒れるか分からない。

この頃、僕は真剣に「死」について考えるようになりました。

僕はこのまま親の借金を返して、やりたいこともなにもできず、誰からも愛されることもなく、平均寿命よりも大幅に若くして死ぬんだな、と。

そのことを想うと、最初は諦めのような感情が湧いてきました。

さわさわという小さな波のような感情が、湧いては消え、消えては湧きを繰り返す中で、徐々に形を変えていきました。

怒りです。

誰かに対する怒りではなく、自分自身の不甲斐なさ、情けなさに対する怒りでした。

人生の大切なポイントで、自分に責任を取ることから逃げ、あとからぼやくばかりの憶病者の人生。

このまま終わるのは、本当に不甲斐ない。情けない。悔しい。

その怒りの感情は僕の全身を包み支配しました。

でも、僕はそれをどこに、どういう形でぶつけていいのかが分かりませんでした。

そのとき、すでに当時再会していた今の僕の奥さんが、僕にこうアドバイスしてくれました。

「たけしくんは、好きなことをやっていいんだよ」と。

でも、僕はそれまでの人生で、「ああしろ」「ここしろ」「あれをやれ」「これをやるな」ということばかり言われてきました。

「好きなこと」をしていいと言われても、好きなことがなんなのか、まったく分かりません。

でも、24時間の中に1秒も好きなことをやっている時間がない、というのは、あまりにも哀しい(憂さ晴らしの暴飲暴食は好きなことではありません)。

そのときにふと思い付いたのが、「ブログ」でした。

続く。

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