エッセイ

夫婦の記念日はきちんとお祝いした方がいい理由

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昨日、2016年7月5日は僕の47回目の誕生日だった。

本当にたくさんの方から祝福のお言葉をいただきました。

皆さま本当にありがとうございます。

そして、FacebookやInstagramなどのSNSとメルマガにはすでに書いたのだが、昨日の午後から、奥さんと二人で、リッツカールトン東京にお祝いに来ている。

プールで泳ぎ、レストランで食事をして、バーで一杯飲んで。

そして部屋でのんびり寛ぐ時間を持った。

とても楽しく豊かな時間を過ごしたのだが、実はこうなるまでには変遷があった。

さっそく紹介しよう。

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夫婦の記念日はきちんとお祝いした方がいい理由

「忙しい」「なんとなく」から省略されるようになる記念日

僕と奥さんが知り合って(正確には再会なのだが)今年で9年、再婚同士で結婚して6年になる。

共に過ごすようになって時間がたつと、だんだんお互いがいるのが当たり前の空気になっていく。

我が家もまさにその通りで、当たり前の存在になると、徐々に「存在してくれていることに対する感謝」をつい忘れてしまうようになる。

そうなってくると、二人の記念日やお互いの誕生日などの行事が、だんだん簡略化され、ときには省略されるようになっていく。

ここ数年、徐々にイベントが簡略化され、ときにはまったく何もやらないというケースも出てきていた。

お互いが「相手がしてくれない」という不満モードに

そんな「簡略化モード」で生活していると、ときおり何となく、「なんか大事にされてない感」みたいなものを感じることが出てきた。

いま思えば、簡略化しているのはお互いさまなので、自分だってスルーしてたり簡略化していたりする。

ところが、そのことは棚に上げて、「してもらってない!」という不満が出てくるようになった。

そして、あとから聞いて分かったのだが、奥さんも同じようなモヤモヤを感じていたようだ。

お互いが「相手が自分を大事にしてくれていない」という、漠然とした不満を抱え、「クレクレモード」になっていった。

そして、ある些細なことから、その不満が爆発してケンカになって、初めてお互いが「受け身」で「愛情欠乏ビリーフ」状態に陥っていたことに気づいた。

唯一のパートナーなんだから盛大にお祝いしようと決めた

「もういい年だし」「忙しいし」「別にそんな派手にやらなくても」といろいろ言い訳して、行司を縮小しがちだった我々。

でも、今年から大きく軌道修正。

お互いの誕生日や結婚記念日などは、気合いを入れて盛大に祝福し合うことにしたのだ。

受け身で相手が何かをしてくれることを待つのではなく、とにかく感謝してたくさん与える。

お互いがそれを徹底することで、どんどん感謝と愛のスパイラルが生まれ、お互いが昇華できる。

そんな風に思ったのだ。

まとめ  というわけで、リッツカールトンでお誕生会でした!!

というわけで、去年はほとんど何もしなかった僕の誕生日だが、今年は盛大にお祝いしてもらった。

リッツカールトン東京でのひとときは、とても楽しく豊かなものだった。

素晴らしい時間をともにする機会を作ってくれた奥さんに感謝。

そして、次の奥さんの誕生日も、盛大にお祝いしたいと思う。

さらっと流してしまっても、同じ時間はあっという間に流れてしまうけれど、やはりこの世で知り合い、パートナーになれた奇跡を、もっと大切にした方がいいよね。

こういう時間を重ねていくことで、人は優しく強くなっていくんだと、改めて思った次第。

リッツカールトンのレポート記事もお楽しみに♪

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