エッセイ書評

遠い太鼓 by 村上春樹 — ヨーロッパ放浪記に彼の原点を見る

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村上春樹さんの長編エッセイ、「遠い太鼓」を久し振りに読んだ。

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村上春樹さんの本では、僕は長編小説に好きなものが多いのだが、この「遠い太鼓」はエッセイだが大好きだ。

ご存知の方がどれぐらいいるか知らないが、村上春樹さんは30代後半からヨーロッパやアメリカと日本を行ったりきたりしながら暮らすライフスタイルを取り入れている。

高城剛さんや本田直之さん、四角大輔さんなどが採り入れている生き方だが、村上春樹さんは1986年からそのような生活をスタートさせている。

まさに時代の最先端を行っていたわけである。

そして、1986年から1989年までの3年間のヨーロッパ滞在中に、彼の初期代表作「ノルウェイの森」が書かれている。

というか、正式にはこの表現は逆で、春樹さんは「ノルウェイの森」などの仕事に集中するために、日本を離れヨーロッパに渡ったのだ。

この「遠い太鼓」の中には、普段知ることができない、素顔の村上春樹さんがたっぷり詰まっている。

 

遠い太鼓

村上 春樹 講談社 1990-06-19
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その面白さも、ストイックさも、そして作家としてのプロフェッショナリズムも、何もかもが若い頃の僕にとってはお手本であり、バイブルであった。

僕も彼のように海外を旅しながら作品を発表したい。

2014年はそれが簡単にできる時代なんだから、やらないともったいない。

そんな憧れのヨーロッパ滞在記、早速紹介しよう。

 

 

 

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遠い太鼓 by 村上春樹 — ヨーロッパ放浪記に彼の原点を見る

 

インターネットもiPhoneもない時代にギリシャに住むということ

春樹さんがヨーロッパに渡ったのは1986年秋。彼が37歳のときであった。

それから1989年秋、彼が40歳になるまでの約3年間を、彼ら夫妻はヨーロッパに滞在していた。

彼がヨーロッパ滞在のベースキャンプにしていた土地はイタリアのローマ。

そして暮らしていた国はギリシャとイタリアが主だったが、どちらの国も国内で何度も引っ越しをしている。

1986年といえば、日本はバブル経済が発生しつつある頃で、1989年はバブル絶頂期である。

この頃には当然のことながら、まだiPhoneはおろか携帯電話も存在しない。

そしてもちろんインターネットもまったく普及していない時代である。

今なら海外にしばらく住むといっても、ネットとiPhoneさえあれば、どんな情報でも手に入れることができる。

しかし、28年前の1986年前には、iPhoneもなくWikipediaもなく、モバイルルーターもMacBook Airもなかったのだ。

その時代にほとんどギリシャ語もイタリア語もできない日本人夫妻が何年間にも渡って滞在するというのは、かなり劇的なことだっただろうと想像する。

春樹さん夫妻は最初にギリシャのエーゲ海に浮かぶ小島、スペッツェス島というところに住まいを見つける。

ここはほとんど車すら走らない田舎の島だ(その代わりオートバイが走り回ってうるさかったらしい)。

しかも彼らが到着した10月は、エーゲ海の島々が「シーズンオフ」に突入する時期で、観光客も観光客向けの店もすべて引き払ってしまう時期だった。

「集中して小説を書く」という重要な目的を持っていたとはいえ、凄い決断をしたものだ、と感心してしまう。

 

 

 

赤裸々に語られる小説家の日常

知り合いもいない、言葉もほとんど通じない、そして観光するべきものもない。

そんなギリシャの島での、村上春樹さんの生活が、このエッセイでは赤裸々に語られている。

「赤裸々」とはいっても、淡々とした彼の日常が、淡々と語られているだけで、特に刺激的なことが書かれているわけではない。

しかし、その淡々とした文章の中に、彼の持つ価値観や主張、それに仕事の進め方など結構重い話題から、食べ物や夫婦の力関係(笑)などの軽い話題までがビッシリ詰まっている。

 

 

なかでも興味津々なのが、彼の小説執筆スタイルの変化だ。

彼はヨーロッパ滞在中に「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」の2本の長編小説を仕上げている。

しかし、この3年の間に彼の執筆スタイルは「手書き」から「ワープロ」へと変化している。

この「遠い太鼓」の前半で、春樹さんは大学ノートにボールペンというスタイルで「ノルウェイの森」を書いている。

春樹さんはギリシャのミコノス島とイタリア南部のシシリー島で「ノルウェイの森」を書いたそうだ。

初稿を大学ノートにビッシリ書いたあと、それを「第2稿」という形にするために、もう一度全部書き直す、と打ち明けている。

それは実に大変な作業だと思う。

今ならパソコンで原稿を作るので、初稿と2稿で変更がない場所はまとめてコピペできる。

しかし、大学ノートにボールペンというスタイルでは、コピペなんてできないから全文を書き写すのだ。

万年筆に原稿用紙ではなく大学ノートにボールペンというのも最初読んだときは驚いたのだが、全文を書き写すという作業に圧倒されたことを憶えている。

いっぽう、旅の後半で、彼は「ダンス・ダンス・ダンス」という長編小説を書いているが、ここではワープロが登場する。

寒い冬のローマと、そしてロンドンで書いたと記されているが、ここで突如ワープロが登場するのだ。

ワープロのメーカーや機種名は書かれておらず、いつ導入したのかなども分からない。

いずれにしても、この旅のどこかで彼は執筆スタイルを手書きからワープロに変更したのだ。

そして後年発表されたアメリカ滞在記では、PowerBook(昔のMacBook)を使っていると書いている。

手書き→ワープロ→Macへと、比較的短期間にシフトしている様子が分かり、春樹マニアとしては嬉しい(笑)。

 

 

 

ランナーとして、料理(作り)好きとして

春樹さんとの共通点は、モノカキ以外にも結構たくさんある。

そのなかでも「遠い太鼓」を読んでいて楽しいのは、ランナーーとしての春樹さん、そして料理を作るのが好きな男としての春樹さんを知ることができる点だ。

この本の中でも春樹さんはちょくちょくランニングについて書いている。

ギリシャではアテネマラソンに出場して完走しているし、それ以外の日常のランニングも積極的に走っている。

僕も自分がモノカキになって良く分かるのだが、物を書く仕事は座ってじっとしている仕事だ。

だからこそ、仕事をハードにこなそうと思ったら、その分しっかり走ったり筋トレをしたりしてバランスを取らないとダメなのだ。

以下僕が大好きなフレーズを引用しよう。

 

「僕はこの部屋で『ダンス・ダンス・ダンス』という長編小説を書き上げた。ラジオ・カセットで音楽を聞き、窓の外のアビーロードを眺めながら、来る日も来る日もワープロのキイをぱたぱたと叩きつづけた。(中略)

雨が降っていないときを見計らって、毎日リージェント公園を1時間ほど走った。それくらいは体を動かしていないと、頭がどこかにイッテしまう。頭がイカないように、体をイカせるのだ」

 

ずっと座ってばかりいると集中力か落ちて本当に書きたいことが書けなくなる。

春樹さんと僕では月とスッポンほどレベルが違うので、春樹さんの言葉に「そうそう」というのは恐縮なのだが、ここはとても共感するポイントだ。

 

 

そしてもう一つの共通点としては、料理が好きな男性という点がある。

春樹さんの料理好きは小説を読んでいても良く分かる。料理を作る描写がとても多いからだ。

そしてこの「遠い太鼓」では、遠いヨーロッパの地で日本人夫婦がどんな食生活を送っているかが結構リアルに書かれている。

エーゲ海の島というのは魚が豊かな場所で、その頃の描写が一番楽しい。

海が荒れてしまうと漁師が漁に出られず魚が手に入らず苦労していたり、七輪で魚を炭火焼きにして醤油をかけて食べていたりと、描写がビビッドで楽しい。

油がキツいヨーロッパの食生活の中で、日本人としてうまく「油抜き」をする方法なども書かれていて参考にもなる。

 

 

 

まとめ 人間「村上春樹」がとても良く見える秀作

春樹さんがヨーロッパに滞在している間に「ノルウェイの森」が刊行され、上下巻合わせて450万部超という大ベストセラーになった。

ヨーロッパに渡航したときには「知る人ぞ知る」くらいの売れっ子作家だった彼が、突然「時代の寵児」のような扱いに変化したわけだ。

しかも当時はインターネットがない時代だから、彼は一時帰国するまで日本で彼の作品がどのような扱いになっているかを知らなかった。

その戸惑いや違和感、そして心無い人たちからの言葉に傷ついた気持ちなども正直に書かれている。

作品が売れるというのは、嬉しいという平面的な感情では済まされないものなのだと、最初に読んだ20代のころに感慨深く感じた。

そういったネガティブな部分をもさらけ出している、人間としての春樹さんが良く見える、素敵なエッセイだと僕は思う。

 

 

春樹さんのエッセイは「村上朝日堂」に代表される短編「ショートショート」的なものが多い。

この「遠い太鼓」ほどの長編エッセイはあまりないし、しかもこの作品はただのエッセイではなく、旅行記でもあり、彼の日記のようでもある。

普段メディアに出る機会がとても少ない春樹さんのリアリティーが良く出ていて共感できる。

小説の裏側にある背景や動機などを知ることができるのも、ファンとしては嬉しい。

 

 

分厚い本だが、読んでいてまったく飽きない。

以前は文庫を持っていたのだが、あまりに再読し過ぎてボロボロになり、単行本を買い直した。

2〜3年に一度のペースで定期的に読み返しているのだが、今回こうして書評が書けて良かった。

確か前回は、僕がヨーロッパに旅したときに、旅先で読んだのだ。

村上春樹さんのヨーロッパ旅行記をヨーロッパで読むのも乙だろうと思ったのだ(そしてやはり乙だった)。

旅する作家の旅の本。

素敵です。

まだ読んだことがない春樹ファンの方は是非♪

 

遠い太鼓

村上 春樹 講談社 1990-06-19
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