エッセイ日常

3月11日に4年前を振り返る。震災ではなく我々夫婦の個人的なお話 [雑記]

エッセイ
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2015年3月11日がやってきた。

2011年3月11日

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忘れもしない2011年3月11日午後。

僕はサラリーマンとしての仕事を「卒業」する直前で、当時は前職の社長と後任とともに、得意先に挨拶回りをする日々だった。

3月11日は中央線の荻窪駅近くのクライアントに午前中から挨拶に行き、現地でランチを食べ、午後にも別の担当の方に挨拶をして,黄色い電車でオフィスがあった市ヶ谷駅に到着したときに、大震災が発生した。

 

 

ちょうど電車を降りて跨線橋の階段を上っているときに揺れが来た。

当時の市ヶ谷駅は駅舎を大々的に工事している最中で、天井から鉄板が落ちてきたりして大騒ぎになった。

工事関係者と乗客が一斉に跨線橋から陸上に走って逃げた。

駅員さんの「走って逃げて!」という声と、鉄板が落ちる音、そして自動改札が全部フルオープンになっている光景を思い出す。

 

 

地震発生のとき、奥さんは代々木にいて、代々木から歩いて市ヶ谷までやってきて、市ヶ谷で僕と奥さんは無事合流できた。

地震発生後、メールも電話も通じなくなってしまったが、Twitterが生きていたので、奥さんとTwitterのDMでやり取りができて、非常に助かった。

当時住んでいた部屋までは、オフィスから徒歩25分ほどだったので、僕たちは混乱を避けるために歩いて帰ることにした。

止まっている路線が多かったため、たくさんの人が徒歩で帰宅しようとして、歩道は行列になっていた。

そんななか、僕たちは護国寺駅近くで営業していた居酒屋さんに入り、そこで夕食を済ませて帰宅した。

居酒屋も普通に営業していて、唯一の問題は、電車が止まったせいで出勤できないアルバイトがいて、店員さんの数が足りないことぐらいだった。

 

 

そして帰宅して自宅の被害を確認したところ、食器棚の中にしまってあった客用のコーヒーカップが1個落ちて割れていた。

僕たちにとっての震災の直接的な影響は、コーヒーカップ1個だった。

幸い両家の家族や友人、知人にも被災した人はいなかった。

震災の翌日も僕はランニングに出て、11kmを走っている。

その日のブログはこちら。

ランニング日誌(11/03/12)平常心11kmラン! | No Second Life

 

 

震災後の計画停電も、山手線内の文京区は除外地区に含まれていたため、停電も起こらなかったし、一部スーパーで買い占めなどは発生していたが、何かモノが買えなくて困った、ということもなく過ごせた。

甚大な被害をもたらした東日本大震災を東京で経験した人間のなかでも、僕たちはもっとも影響を受けなかった人間に含まれるだろう。

被害、影響が軽微だったこともあったと思うが、僕たちは、2011年3月というのは、別の意味でもっと思い出深い時期であった。

ここから先は、大震災の話は出てこない。

あくまでも僕と奥さんの、個人的なお話しである。

 

 

 

2011年3月は大きな変化の時期だった

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2011年3月は、僕ら夫婦にとって、大転換の時期だった。

冒頭にも書いたとおり、僕は2011年3月末で、17年間勤めた会社を退職し、「ブロガー」として独立することになっていた。

独立のご挨拶のブログ記事はこちら。

ごあいさつ 会社を退職して独立しました | No Second Life

 

 

大学を出てサラリーマンになってから、ずっと会社の仕事しかしてこなかった僕にとって、会社を退職して独立するということは、とてつもないチャレンジだった。

独立した時点で、僕のブログはまだ30万PV程度しかなく、ブログからの広告収入も8〜9万円程度。

僕は独立当初からどんどん多角化していこうと思っていたので、ブログからの直接収入にこだわってはいなかったし、実際独立した直後の4月も売上は40万円ちょっとあったので、「無謀」ではなかったが、それでも大冒険だったことに変わりはない。

「サラリーマン」から「フリー」へ。

僕は大きな変かの時期にいた。

 

 

いっぽう僕の奥さん、大塚彩子も同じ時期に大きな転換ポイントに立っていた。

彼女は東京芸大作曲科を卒業後、一度も会社に勤めることなく、ずっと音楽家として活動をしてきていた。

作曲家として、編曲家として、そして演奏家として活動を続けてきていた。

しかし、僕が彼女と再会した2007年ごろを境に、彼女は激しい燃え尽きを経験し、音楽家としての活動を一旦止めることになった。

そして彼女が選んだのが「音楽療法士」の道を歩むことで、2011年4月から、聖徳大学の音楽療法科に社会人編入することになったのだ。

その後彼女は音楽療法科を卒業し、「音楽療法士」の活動に飽き足らず、さらに活動の幅を広げ、今のセラピストの職業に就くことになるのだが、それはずっと後の話し。

 

 

つまり、2011年3月末をもって、僕たち二人の立場は同時に大きく変わることになったのだ

僕は、中小企業の「営業統括・シニアマネージャー」という肩書きを持つサラリーマンから、「ブロガー」へ。

そして奥さんは、「作曲家・編曲家」という立場から、「大学生」へと。

 

 

「これからいったいどうなっちゃうんだろう?」という不安もなくはなかったと思う。

でも当時は、「これから何でも好きなことが好きなだけできる!」というワクワク感の方が圧倒的に強かった。

奥さんは毎朝大学に出かけていき、夜7時くらいに帰ってきた。

だから僕は、毎日のようにスーパーに買い物に行き、二人分の晩ごはんを作り、翌朝には奥さんのお弁当を用意して、奥さんを送り出した。

そして昼間奥さんがいない時間帯には、ひたすらブログを書きまくった。

まだ本も出ていないし知名度も大してない時期だったが、時間だけはたっぷりあった。

小日向の6畳くらいの小さな部屋に一人籠もって、全世界に向けてブログを書きまくっていた。

2011年春から秋にかけては、毎月100記事以上を書き続けていた。しかも1記事が長いのだ。

あれだけガンガン書けば、そりゃあ上手くなるし、人気も出来るだろう。

そして4月には30万PVだったブログが6月には60万PVくらいになり、7月に100万PVを突破し、11月には165万PVを記録した。

その間、7月頃には最初の電子書籍「西麻布バブルダイエット」のお話しをいただいたり、雑誌に寄稿したりと、少しずつ活動の幅が広がるようになっていき、翌年のブレイクへと繋がっていったのだ。

 

 

 

2015年3月に想う、我々夫婦のこと

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僕と奥さんはともにバツイチ同士である。

知り合ったとき、彼女は作曲家で僕はサラリーマン。

共通の友達はもちろん誰もいない状態だった。

仕事的にもまったく接点はなく、お互い「全然関連性がないんだよなー」と思っていた。

 

 

それが、2015年3月11日、Facebookを見てみると、僕と奥さんの間には、共通の友達が258人もいる。

奥さんは2013年に大学を卒業し、セラピストとしての活動をスタートさせた。

その時点でもまだ僕たちの活動にそれほど接点はなかったが、2013年4月に立ち上げた、僕のワークショップ「人生を劇的に変える!超実践2daysワークショップ」で、初めて「二人で仕事をする」ことになった。

第1期では奥さんはアシスタントとして手伝ってくれただけだったが、第3期からは、彼女の専門分野である「ビリーフ」に関する講義がカリキュラムに入り、本格的に「コラボ」が発生した。

2014年からは「自分にOKを出して前に進む!心を解放するビリーフ・システムセミナー」を共同開催するようなり、いよいよビジネスパートナーとしての活動が本格化する。

そして2014年6月には、二人で「株式会社ツナゲル」を設立し、共同経営者に就任。二人のビジョンを共に具現化するための「ツナゲルアカデミー」を設立することにもなった。

その間、もともとは奥さんの心理学の師匠、岡部明美さんのLPL養成講座を二人で一緒に受講したりと、「共に学び知の水準を揃える」活動を進めてきた。

お陰で我々は、2010年に結婚したときには想像もしなかった、仲良し夫婦 & 共同経営者 & 学びのパートナーという状態になった。

今や毎朝の食卓は、完全にビジネスパートナーとの「ブレックファスト・ミーティング」状態になっている。

でも、それがとても楽しいし、僕は彼女を妻としてはもちろん、セラピストとして、ミュージシャンとして、そしてビジネスパートナーとして、とても尊敬しているし、彼女から多くのことを学ばせてもらっていると思っている。

 

 

 

まとめ

夫婦二人でブログを書き、一緒にセミナーを開催し、それぞれ、個人コンサルとセッションで多くの方と触れ合う日々。

正直、こんなことになるとは、知り合ったときも、結婚したときも、夢にも思わなかった。

でも、このようになることは、ある意味では必然だったような気もする。

二人はまったく違う性格で、趣味もバラバラだけど、もっと深い部分で感じていること、考えていることが、とても良く似ている。

だからこそ僕らはあのタイミングで出会ったのだと思うし、いま、こうして一緒に歩いているのだと感じている。

 

 

僕らにとって2011年3月は、「えいやっ」とジャンプした時期だった。

「飛躍」という意味のジャンプではなく、とにかく未知の新しい世界に「飛び込んだ」、えいやっのジャンプの時期。

あの日から4年、よくぞここまでやってきたと思う。

そしてここから先の4年、5年で、僕たちはどこへ向かって進んでいくのだろう。

2020年、東京オリンピックの頃に、僕たちは、どこでどんな仕事をして、どんな人たちと一緒に笑っているだろうか。

それを考えると、なんだかとてつもないことができるような気がして、激しくワクワクしてしまうのだ。

震災の日である3.11ではあるが、僕ら夫婦にとって、震災と自分たちのチャレンジスタートは必ずセットで思い出されるものなので、こうして書いてみた。

次のチャレンジに向けて、仲良く進んでいこう。

彩ちゃん、よろしくね。

 

 

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