心・心理・あり方書評

自分の小さな「箱」から脱出する方法

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人には「心が開いている」時と、「心が閉じている」時があるという。

あなたはそのことを考えることがあるだろうか。

「今自分は開いている」とか「あ、いま自分は閉じているな」と気づきながら生活しているだろうか。

僕はできるだけそのことを常に意識して生活するようになった。

人間は感情の動物だ。僕も感情の起伏があるので、時として不機嫌になる時もある。

だが、不機嫌を不機嫌のまま放置するのと、「自分はいま不機嫌だ」と自覚しているのとでは、周囲の人に与える影響がまったく違ってくる。

なぜそのようなことを意識するようになったか。

きっかけはある本を読んだことだ。

その本とは、「自分の小さな「箱」から脱出する方法」だ。

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初めてこの本を読んだとき、強い衝撃を受けた。クラクラと眩暈がするほどだった。

一度目の衝撃から時間が経ち、もう一度じっくり読み返したくて再読した。

やはり素晴らしい本だった。一度読んでいるので「衝撃」はなかったが、代わりに「ずしり」と感じる「重さ」を残してくれた。

前回は衝撃を受けた直後に思いのままにレビューを書いてしまった。

今回は時間がなくてなかなか本を手に取ることができない皆さんのために、僕なりに「10分で読める「箱」脱出10ステップ  まとめ」という形にまとめてみた。

さっそく始めよう。

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1.  「箱」とは何かを知る

さて、そもそもこの本で言う「箱」とは何なのか。そこから説明しよう。

「箱」は僕らの心の状態を示すものと考えてもらいたい。

「箱」に入っている状態とは、端的に言えば心が閉じている状態。

「箱」から出ている状態とは、言い換えれば心が外に向かって開いている状態。

そう考えると分かりやすいだろうか。

仕事においても家庭においても、人間は常に他者と触れ合って生きている。

職場では上司、同僚、部下、後輩、それに取引先や業界団体関係者など。

家庭では妻、夫、子供、親、姑など。

人間は一人では生きられない。

必ず他者との関係性の中で生きている。

他者と触れ合う時、心が閉じているのか、それとも心が開いているのかで、周囲に与える影響がまったく異なってくる。

「箱」に入っている人間は周囲に悪い影響を与える。

ましてやそれが影響力を直接行使できる上司や親だった場合、部下や子供達が受ける影響は甚大だ。

本当は人間は「箱」なんかに入っているべきではない。

ここまで読めば誰でもそう思うだろう。

それなのに箱から脱出できない人がたくさんいるのは何故か?

夜の飲み会で職場の上司の悪口を言わずにはいれない部下が大量発生するのはどうしてだろう?

夫との関係が冷えきってしまい、まったく会話のない生活を捨てたいと願う妻がいなくならないのは何故だろう?

その解決策を提示してくれるのが、この本だ。

2. 自分以外は「人」か「モノ」かを考える

人間関係に問題が起きるとき、ほとんどの場合、当事者は「箱」に入っている。

つまり心が閉じているのだ。

例えば上司が部下を激しく叱責する時を想像して欲しい。

その上司は部下に対して心を開いているだろうか。それとも自分のことだけを考えて閉じているのだろうか。

残念ながら、多くの場合、上司は「自分が取らなければならない責任」のことや、「あとの尻拭いをする自分」のことばかり考えている。

そう、「箱」に入っているのだ。相手のことを考えていない。

恥ずかしながら僕自身にもたくさんの後悔がある。部下に対してひどい言い方をしてしまったケースが山ほどある。

自分に経験があるから分かる。その時の僕は、相手を一人の、意志を持ち傷つきやすい、自分と同じ人間としては見ていない。

そんな時、箱に入った人は相手を「モノ」として扱ってしまう。

妻が家庭で夫をなじる時、親が言うことをきかない子供を怒鳴る時。

多くの場合、責めている人間は相手をモノとして見ている。相手が自分の発言を受けてどう感じるかを考慮しないのだ。

そして当然のことながら、「モノ」として扱われたことが伝わった相手もまた、すぐに「箱」の中に入る。

入らざるを得ないのだ。

そして何が起きるか。

夫と妻のような対等の関係であれば、口論となりお互いに相手を責め立てるだろう。

会社組織のように上下関係がある場合には、部下はその場で反論できないケースも多い。

自分に非があった場合には、強いショックを受け自信をなくすだろう。

仕事に対するモチベーションも下がってしまう。

もし自分に非がないことで上司から責められたら?

自分にも非はあるが上司にはもっと責任があるという思いが強かったら?

部下は果たしてやる気になるだろうか?

帰りに同僚と飲みに行き、そこで愚痴を言うようになる。

仕事がつまらないと感じ、転職先を探すようになる。

組織に働く人間としての、やる気が根こそぎなくなってしまう場合もある。

箱とは恐ろしいものなのだ。

3. 自分だけが被害者で他人が全部悪いのか?

「箱」に入っている人間は、他人に対して攻撃的になっている。

攻撃的になっているということは、言い方は悪いが「加害者」的に見える。少なくとも第三者的には。

例えば朝のラッシュアワー時に電車が遅れたとしよう。架線トラブルがあった。

電車が遅れたことを理由に、サラリーマンが駅員を怒鳴りつけている。

この光景を客観的に見たら、どちらが加害者でどちらが被害者だろうか?

そう、もちろん駅員さんが被害者で怒っているサラリーマンが加害者だ。

だが、ここで考えてみて欲しい。

腹を立てているサラリーマン本人は、果たして自分が加害者だと認識しているだろうか?

そう。答えはNOだ。絶対にNOだ。

この時サラリーマン氏は、自分は完全に被害者だと認識している。間違いない。

「朝一番の大事な会議に間に合うように必死に通勤する自分」

「昨日も接待で夜が遅く疲れているのに満員電車に乗り込もうと駅まできた自分」

「そんな俺を時間通りの電車に乗らせないとは何たることか」

「お前が勤務している電鉄会社が事故なんぞ起こすから、正しく勤勉でけなげな俺が被害を受けたじゃないか」

「俺は被害者だ!謝れ!」

図式はこうなっている。

箱の中にいる人間は、「自分は完全に正しく相手が全部悪い」と考えてしまう。

「自分は被害者で相手が加害者だ」という図式だ。

さらに、「被害者である自分は正当だから加害者に対して「報復」する権利がある」と思っている。

自分を抑圧する加害者に加える「正義の鉄拳」なのだ。

そんな相手を「人」として見ているはずがない。

 

【次のページ】自分の小さな「箱」から脱出する方法 その4〜6

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