心・心理・あり方書評

病と心は繋がっているのだから 書評「私に帰る旅」 by 岡部明美

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奇跡の生還から再発、そして

退院した著者は育児と家事が待つ日常へと戻る。

その中で徐々に「なぜ自分は病気になったんだろう」と考えるようになる。

そして、そこには強いストレスを押え付ける自分。「前向きに活発に生きなければ」と自分がやりたくないことでも全力で突っ走り続け、仕事漬けだった日々があった。

自分の天職を見つけることができず職を転々とした若い日々。

そして拾ってもらった会社でメキメキと力を発揮して無我夢中で働き、役員にまで上り詰めた自分。

だがそこには常に「やらねば」「頑張らねば」「自分しかいない」という強い気持ちがあった。

そして身体も心もボロボロになりつつも、強引に笑顔を振りまく自分がいた。

著者はそんな日々の中で、こう考えていたことを想起する。

「倒れたらもう仕事しなくてもいいんじゃないか」

「仕事もできないくらいの重病にかかったら楽になるんじゃないか」

そして退院から3年目の定期検査で、脳腫瘍の再発が疑われる陰が見つかったのだ。

 

病の原因は心だと知る

腫瘍の再発で自暴自棄になる日々を乗り越え、著者はもう一度自分に問いかける。

「私はなぜ病気になるのだろうか」

そして巡り合ったのが、人間の自然治癒力によって病を克服しようという、「シーゲル博士の心の健康法」という本だった。

この本をきっかけに著者はホリスティック医学の存在を知り、人間の自然治癒力の素晴らしさを学ぶことになる。

「病気は医者が治してくれるもの」という固定観念を外す。

「死は敗北である」という西洋医学の考え方に疑問を持つ。

「身体は常に治りたがってる」という考え方に沿い、身体の声を聞く。

著者は書いている。

 

「がんは堪えがたいストレス、極度の疲労、遺伝子を傷つけるものの体内摂取、間違った食習慣、毒素・老廃物の体内蓄積、深い悲しみや絶望感、無力感、自己否定感、細胞や肉体の老化、ココの患者の未知のX……。それらが、からだの抵抗力、免疫力という”生命力”そのものを落ちして発病の引き金を引くと言われている」

 

西洋医学の好戦的な姿勢に疑問を持った著者は、「もう開頭手術はしない」と決め、自然治癒力による腫瘍の消滅を目指し、日々の生活と自分の生き方を振り返る。

そして辿り着いたのが、自分の幼少時代の強いストレスだ。諍いの堪えない両親を調停する日々。母親にかまって欲しくて「優等生」を演じる日々。

それらの悲しみ、憤りが著者の潜在意識に強く残り、「仕事でがんばらなきゃ」「自分を強く元気に見せなきゃ」という行動に自分自身を駆り立てていたことに気づく。

「自分はこういう人間だ」と自分で決めつけてしまうことは恐ろしいことだ。

著者は「いつも元気で前向きに生きる強くて明るい自分」を自ら定義してしまったため、「もうダメと弱音を吐く自分」「やりたくないことは断る自分」を否定してしまった。

そしてその自己否定から生じるストレスすらも、なかったことにして突っ走ってしまっていたのだ。

自分の身体が悲鳴を上げ「もうやめてくれ」と訴える声を無視した結果が、大きな病気となって現われたのだと、著者は気づく。

 

まとめ

ストレスのない日々。身体の声を聴き心を整える日々。

著者は「身体は常に治りたがっている」という信念に基づき日々を生きた。

そしてその日々の結果、脳腫瘍を疑われる陰が消えたのだ。

著者にとっての二度目の奇跡は、心と身体に向き合うことによってもたらされた。

 

この本のもちらす意味はとても重い。

もし自分の身体に悪性の腫瘍が見つかったならば、僕はどうするべきだろうか。

外科医に「何とかうまく切除してください」と頼み、身体を切る決断をするだろうか。

それとも岡部さんのように、「身体にメスは入れない」と宣言し、自然治癒力に任せるだろうか。

病気になって症状が重くなってからでは、選択することすらできないのではないか。

病気にならない生き方を、日々コツコツと実践していくしかないのではない。

それにはどう生きればいいのか。

そんなことを深く考えさせられている。

 

私に帰る旅

岡部 明美 角川学芸出版 2008-03
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