書評

これぞ片づけ術の最終兵器だ!! 書評「断捨離」 by やましたひでこ

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僕はモノを捨てるのが苦手だ。

決して部屋は汚くはない。きちんと整理はしてあるし、汚れてもいない。男の部屋にしては、とてもキレイにしていると思う。

だが、とにかくモノが多いのだ。

昔から本やガジェットが好き。さらに音楽も大好き。

そうなると、とにかく多いのが、ガジェットとその付属品、そして本や雑誌、さらにCDやレコード類ということになる。

 

 

「なんとかうまく収納してスッキリした部屋に」とあれこれ試してきたが、どうもうまくない。

限界を感じるのだ。

そして、以前から巷で聴こえるあるキーワード。

そう、「断捨離」だ。

 

 

このキーワードに無性に惹かれ、貪るように読んだのが、やましたひでこ氏の名著、元祖「断捨離」だ。

 

 

新・片づけ術「断捨離」 

やました ひでこ マガジンハウス 2009-12-17
売り上げランキング : 734

by ヨメレバ

 

 

 

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収納術では幸せになれない

 

 

 

「断捨離」とは、モノを「捨て」、不要なモノを買ってしまう習慣を「断ち」,そしてモノへの執着から「離れる」ことを指す。

この基本概念が、従来の片づけ術とは根本的に違うのだ。

 

 

「モノをうまく収納して部屋をキレイにしましょう」

そのように説く片づけ術の本は世の中にたくさんある。

だが、あふれるほど家に溜まったモノを収納法で詰め込んでも、空いた空間にさらにモノを置けば、すぐにまた一杯になってしまう。

 

 

断捨離では、とにかくモノを捨てることから始める。

何もかもを捨てるのではない。

自分にとって大切なモノ、愛するモノ、使うモノだけを残し、不要なものをどんどん捨てる。これが断捨離だ。

 

 

 

 

例えば、こんなことをしている人はいないだろうか。というか僕もやってしまっている。

コンビニやスーパーで、いらないのに袋に入れられた割り箸やプラスチックのスプーンが、キッチンの引き出しに無闇やたらと詰め込まれている。

一体いつ使うか分からない。でも「使えるのに捨てるのはもったいない」から押し込んである。

「ピクニックの時に便利だから」というのが理由?でも、そのピクニックはいつだろう?

 

 

もう一つこんなこともしていないだろうか?

大枚をはたいて買ったお気に入りのコーヒーカップ。ウェッジウッドのもの。

「割ったら大変」としまい込み、普段はパン屋さんでおまけにもらったキャラクターグッズの付いた安物のカップを使う。

数えてみれば、お気に入りのウェッジウッドで紅茶を飲んだのは、いったいいつだろう?せっかく買ったのに毎日安物を使う日々。

 

 

断捨離では、これらの割り箸やスプーン、そして安物コーヒーカップを捨てることから始める。

「まだ使える」や「もったいない」という、モノ基準の整理法とは違う。

断捨離は、「私が大事に思うか」「私が大切に感じているか」と「人」を基準に持つものを選ぶのだ。

 

 

 

好きなモノだけに囲まれて生きる幸せ


 

 

何故普段遣いの安物カップを捨てるべきなのか。

何故なら、安物を使い続けることで、人間は無意識に自分の価値を安物に合わせて下げてしまうからだ。

 

 

著者やました氏はクライアントの家を一緒に片づける活動もしているそうで、本書にはそのようなエピソードが多数収録されている。

せっかく高くて素敵な洋服を持っているのに、洋服を整理しようとすると、安物ばかり残し高い服を処分しようとする女性の例が印象的だ。

「自分には分不相応」、「私にはこの程度で十分」という無意識の心の動きが、人間を安物に縛りつけてしまう。

 

 

 

 

安物のカップを捨ててしまった後、僕らはどうするだろう。

そう、毎日ウェッジウッドでコーヒーを飲む生活を送ることになる。

お気に入りのカップなのだから、当然嬉しいし、洗う時も丁寧に洗うし、洗うこと自体も楽しいだろう。

日々のコーヒータイムが、喜びの時間になる。そして手に持って口に付けて嬉しい。楽しい。

 

 

カップだけではない、例えばボールペンもそう。

只でもらったからと、家中に安物のでどうでもいいボールペンが散乱していないだろうか?

思い切って全部処分して、家の中にある筆記用具は全部お気に入りのものだけにしてみる。

 

 

するとどうだろう。モノを書くという行為が、全て楽しくワクワクする時間へと変化する。

それは、とても素敵なことではないだろうか。

いらないモノをそぎ落とすことは、「要るもの」「大切なもの」「好きなもの」だけに囲まれる生活を送ることを意味するのだ。

 

 

 

「断捨離」とは自分と向き合うこと

 

 

 

モノを捨てる時、僕らは自分の過去と対峙することになる。

以前の恋人からもらったアクセサリー。若い頃に良く着ていたけれど、今ではすっかり着なくなった、ボディ・コンシャスなスーツ。

過去の想い出を大切にしたいという思いは、時として僕らが「殻を破る」ことを妨げてしまうとやました氏は説く。

 

 

「バブルの頃私はキレイで良くモテたなあ」という思い出に浸る行為は、自分の現状を見て前に進む努力をさせない要因となってしまうことが多い。

昔の恋人からの手紙を捨てられない人は、新しい恋に向かって進んでいけない人が多いのだ。

 

 

進んでいけないから、昔の手紙を取っておいているのか?

違う。昔の手紙が家の中にあるからこそ、その手紙に縛られてしまい、前を向くことができないのだ。

まずは手紙を処分しよう。そうすれば、そこに停滞していた空気が流れ、新しい空間が生まれる。

 

 

断捨離によって、過去の自分の呪縛から離れることができる。断捨離とは自分と向き合うことなのだ。

 

 

 

モノがなくなると心が澄み渡る

 

 

 

モノが多い家は掃除がしにくい。

何も置いてないデスクは簡単に水ぶきできるが、モノが散乱しているデスクは、モノを片づけてからでないと水ぶきができない。

それが家中で起きるのだ。

 

 

掃除がしにくい家は汚れやすく、汚れた家には停滞運、腐敗運が招かれやすい。

散らかっている状態を人間は無意識で「不快」と認識するものだ。

ささいな「不快」でも、積もれば大きなものになる。

 

 

 

 

例えば「キッチンの扉を開けようとしたら、大量にストックしたペットボトルが邪魔でうまく開かなかった」とか、

「本が本棚に入り切らず積み上がり、探している本が見つからない」とか。

そして自分の本拠地である家が「不快」な場所なのだ。

良い運気が流れ込むはずがない。

 

 

断捨離を実行し、モノが減り、好きなもの、必要なものだけに囲まれて暮らすようになる。

すると、掃除が簡単になる。

簡単だから掃除を面倒がらなくなる。

 

 

キレイな家は気持ちが良いので機嫌が良くなる。

自分の機嫌が良ければ家族も機嫌が良くなる。

みなが快適で機嫌の良い家には、良い運気が運ばれてくる。

 

 

言われてみれば当たり前のことだ。

どうして今まで気づかなかったのだろうか。

 

 

 

まとめ

 

 

 

断捨離という言葉から、まだ使えるものを大量に捨てるという行為に罪悪感を持つ人も多いだろう。

本書でも、なるべくモノを捨てず、再利用することを提唱している。

リサイクルに出したり、ネットオークションで販売したり、使ってくれる友人にあげるなど。

 

 

モノは本来使われるために作られはず。

だけど自分の手元にあっても活用されることがない。もしくは大切にしてもらえない。

ならば、本来あるべき場所、つまり使ってもらえる人のところに行く。

これが正しいことなのだ。

 

 

そして、断捨離を実行し、モノがない環境が実現すると、僕らはどうなるのだろうか。

そう、モノを買わなくなる。買うときは厳選するようになる。

そして買ったモノは大切に使うようになる。

 

 

何よりも大切なのは、僕らが持つモノへの強い執着をなくしていくこと。

本当に必要なモノだけを最低限持つ人生。

「断」と「捨」により自己肯定、自己回復を行い、「離」で世界観が変わると著者は説いている。

所有欲から離れると、世界から必要なものはいつも与えられる、いつもそこにある、という安心感を持てるというのだ。

 

 

まさに21世紀の片づけ術。是非実行しようと思う。

 

 

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